近代化論
出典: Jinkawiki
近代化論とは、1950年代から1960年代にかけて、次々に独立を遂げていった旧植民地の国々をいかに近代化させ、欧米的な意味での国民国家形成をいかに実現していくのかを論じた学問分野で、開発経済学と近接ないし重複する領域である。それは、単に経済成長のモデルではなく、政治、社会、文化、心理など人間生活のあらゆる側面において、近代化とは何か、そしてそれはいかに達成できるのかを明らかにしようとした一連の研究であった。近代化論の本質は、社会主義も資本主義もひとしく「近代化」の過程としてとらえ、社会体制の相違を問題としないことにある。
近代化論は、日本にも多大な影響を与えながら、特にアメリカ合衆国においては、学問と現実政治のはざまで揺れ続け、その後の社会科学の諸思潮にも長い間強い影響をおよぼした。アメリカにおいて近代化論がそれほどまでに影響力を持った背景には、冷戦という当時の時代状況があった。つまり、開発途上国に対するソビエト連邦の影響力を最小限に食い止め、欧米的な国家を作り上げていくことこそが、近代化論の最も重要な使命とされたのである。
アメリカ合衆国においては、それゆえ近代化論は国家的なイデオロギー、さらにはアイデンティティとしての性格を持っていた。しかし、1970年代に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させ、精彩を欠くようになる。開発途上国の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が現れ、ベトナム戦争の敗北と、そこに見られた反米ナショナリズムの強さから、これまでの開発戦略が途上国の歴史的経験や伝統文化、経済の現状から乖離していることへの見直しが始まった。また、公民権運動に代表されるマイノリティの異議申し立てがアメリカのみならず先進各国で現れた。この時代、国際従属理論や文化帝国主義論が近代化論に代わって一世を風靡した。
近代化論は、第2次世界大戦に日本にも導入され、とくに「高度経済成長」のもとで近代化政策、近代化路線を促進する理論としてもてはやされた。また、韓国、台湾、シンガポール、香港の新興工業経済地域(NIES)の経済発展は近代化の概念を揺さぶった。プロテスタントの倫理や白人優越主義はもはや誰の目にも成り立たなくなり、NIES諸国で広くみられた開発独裁は、民主化を与件としてきた近代化論への再考をせまるものであった。しかし、特にアメリカは一種の人工国家という側面から、自国のアイデンティティの一部をかたちづくっている。アメリカにおける近代化論は、それゆえ何度も論理が組み替えられ、歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、文明論や諸文明の拮抗・対立、あるいは歴史終焉論というふうに姿を変えながらも、根強い影響を与えつづけているのである。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8C%96