連合国軍最高司令官総司令部
出典: Jinkawiki
連合国軍最高司令官総司令部
General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ/SCAP)
連合国軍最高司令官のための参謀組織を指す。原型はマッカーサーを中心にフィリピンで組織され、1945年9月2日の降伏文書調印直後、横浜に太平洋陸軍総司令部(GHQ/AFPAC)がおかれ、同年10月2日、東京の第一生命ビルを本拠に連合国軍最高司令官総司令部が確立した。軍事行政と民事行政のための機関で、G-2(参謀二部)、GS(民政局)が有名である。
《改革の経緯と方針》
1945年9月2日、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式が行われた。連合国軍側は最高司令官マッカーサーをはじめ交戦国九ヶ国(アメリカ、イギリス、中国、ソビエト連邦、カナダなど)の代表、日本国側は政府及び大本営(戦時に設置された、天皇に直属する最高の統帥機関)代表(重光葵と梅津美治朗)が出席した。マッカーサーは1854年にペリーが来航した際に掲げた軍艦旗をこの日のために取り寄せ、これを誇示した。
同年9月22日、アメリカ政府は「降伏後における米国の初期の対日方針」を発表し、占領政策の基本を提示した。これで、日本の主権は、本州・北海道・九州・四国その他付近の島々に限定された。つまり、台湾・朝鮮など旧帝国領の返還はもとより、「琉球処分」も認められなかった。また、各国間に意見の相違が生じた場合には「米国の政策が決定力を持つ」とし、事実上アメリカの単独占領となることが示された。
政治面では、「武装解除と軍国主義の排除」をテーマとして、軍隊・軍事機構の解体や秘密警察組織の解散、軍国主義・過激国家主義による教育の排除などが求められた。このように、明治期以後の「富国強兵」政策と戦争のなかでつくりあげられた軍事機構が全面的に解体された。
経済面では、「経済上の非軍事化」が課題とされ、兵器や軍艦艇の生産・修理などの禁止に始まり、軍事力の強化に結びつく可能性のある学問研究までも禁止の対象とされた。つまり、軍事機構の経済的・学問的基盤を全面的に取り除くことが目指されたのである。近代日本の重化学工業は軍事力の強化と密接に繋がって育成されたため、このような日本経済の本質を根本から変えようとしたのだ。
参考文献
佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山川出版社 2008年
竹前栄治著 『GHQ』 岩波新書 1983年