連合艦隊
出典: Jinkawiki
連合艦隊
連合艦隊とは日本海軍の艦隊編成で戦時に限り編成された艦隊名である。通常2個以上の常備艦隊で 編成された艦隊。明治期の日本海軍は主力艦である第一戦級の艦艇で常備艦隊、第一線を退いた 老朽艦など第二戦級の艦艇で警備艦隊と区分していた。ところが、日清戦争が始まると、二つの艦隊 を連合して海上戦力の強化を図るために提起されたらのが連合艦隊であった。連合艦隊司令長官は 天皇に直属し、軍令に関しては軍令部総部長、軍政に関しては、海軍大臣の指示を受けた。
活躍と敗北
1894年7月19日、日清戦争が迫ると、常備艦隊と警備艦隊あらため西洋艦隊が、日清戦争開戦の6日前 に連合艦隊として編成された。当時清国は海軍は、東洋一の海軍力を誇っていた。これに対抗する ために日本海軍は、海外発注をも含め、急ピッチに建艦を進め、大小の軍艦31隻、水雷艇24隻から 編成される艦隊を作り上げた。これが日本海軍最初の連合艦隊である。その後豊島沖海戦、黄海海戦 で清国に勝利し清国の北洋艦隊を降伏に追い込んだ。日本海軍は、建艦スピードを緩めることなく、 日露戦争開戦時には全艦数90隻に達していた。日露戦争において、ロシアはバルチック艦隊、黒海艦隊、 太平洋艦隊と、3艦隊を擁していた。日本海軍は、連合艦隊と第三艦隊で主力艦は戦艦6隻、旧式戦艦2隻、 装甲巡洋艦6隻、巡洋艦15隻などの陣容だった。日露戦戦争の可能性が出てきた1903年、連合艦隊が編成され、 特に東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破し、日本軍の勝利に貢献したとされる日本海海戦は、 日本海軍の連合艦隊の名を世界に知らしめることとなった。連合艦隊は原則として戦時および演習時に臨時的に編成された艦隊であったが、世界の海軍国が軍縮条約 の制約から離れて建艦競争を、本格化するに従い。33年からは常時編成となった。時を経て、日米開戦が 目前に迫ると、連合艦隊司令長官山本五十六は、連合艦隊の主力空母6隻を導入する真珠湾奇襲計画を立案する。 開戦時の連合艦隊の戦力は、戦艦10隻、航空母艦10隻、戦時建造が383隻に達した。
参考文献
『アジア・太平洋戦争辞典』2015年 吉川道郎 吉川弘文館