邪馬台国

出典: Jinkawiki

邪馬台国は、『魏志倭人伝』などに出てくる国である。

「やまとこく」、「やまだいこく」などとも呼ばれる。また、耶馬台国とも記述される。この「邪馬台」を「やまたい」と読んだのは国学者の本居宣長が最初であると考えられている。

弥生時代の2~3世紀に日本にあったと推定されている。女王が治めていたことから魏志倭人伝では女王国とも記されている。30の小国を従えた連合国。南の狗奴国(くなこく)と対立した。

邪馬台国は元々男王が治めていたが、国家成立から70~80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱)。邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。

邪馬台国と後のヤマト王権の関係ははっきりしない。位置についても魏志倭人伝の記述が明確でなく、論争になっている。一般的な読みは「やまたいこく」だが、本来の読みについては諸説がある。 所在地については北九州・畿内大和の2説がある。


魏志倭人伝に記述されている当時の風俗

・男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。

・男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。

・着物は幅広い布を結び合わせているだけである。

・兵器は矛、盾、木弓を用いる。

・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。

・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒 して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。

・倭の者が船で海を渡る際、持衰が選ばれる。持衰は人と接さず、虱を取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。 船に災難があれば殺される。

・特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。

・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。

・女は慎み深く嫉妬しない。

・盗みはなく、訴訟も少ない。

・法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。

・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。


参考HP…①邪馬台国大研究 http://inoues.net/index.html                ②ウィキペディア

参考文献…邪馬台国の原点  甲谷忠義著   文芸社                   日本史B用語集 山川出版


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