酒井忠勝
出典: Jinkawiki
江戸前期の譜代(ふだい)大名。3代将軍徳川家光(いえみつ)、4代将軍家綱(いえつな)時代の老中。雅楽助(うたのすけ)酒井氏の分家備後守(びんごのかみ)忠利(ただとし)の長子として三河(みかわ)(愛知県)西尾に生まれる。1620年(元和6)2代将軍秀忠(ひでただ)の世子(せいし)家光に付けられ、22年加増されて武蔵(むさし)深谷(ふかや)(埼玉県)1万石の城主となる(のち5万石)。家光が将軍となった翌年、24年(寛永1)には老中に登用された。27年父の遺領を相続し、武蔵川越(かわごえ)城主となった(8万石、のち10万石)。34年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)に転じ加増されて11万3000石余を領するに至った。官位も従(じゅ)四位上、少将に進む。家光時代後半から4代将軍家綱時代前半にかけて老中の中心としてよく将軍を補佐し、将軍政治の確立とその発展に努めた。藩政についてもよく心を用いている。性格は謹直で教養も豊かだった。晩年、空印(くういん)と号した。
広辞苑:岩波書店
知れば知るほど江戸大名:実業之日本社