金日成
出典: Jinkawiki
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概略
金日成(キム・イルソン1912年4月15日 - 1994年7月8日)は、朝鮮の革命家・独立運動家で、北朝鮮の政治家であり軍人でもある。満州において抗日パルチザン活動に部隊指揮官として参加し、第二次世界大戦後はソビエト連邦の支持の下、北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。
背景
第二次世界大戦時、朝鮮半島は日本の支配下にあったが、日本が第二次世界大戦に敗北すると朝鮮半島は北緯38度線より北をソ連、南をアメリカが占領し両国の軍事統治を受けることになる。国連会議では戦争中に一時は連合軍が占領して、その後は朝鮮民族の独立国家建設を支援する方向に向かっていた。1947年1月には国連の監視下で南北総選挙を実施して朝鮮半島に統一政府を樹立することを決めていた。しかし、ソ連の支配する朝鮮半島北部では1946年2月にすでに北朝鮮臨時人員委員会が発足しており、委員長が金日成だった。国連の監視下による選挙はソ連にとっては不都合であったからと言われる。有権者は候補者支持なら白い箱、不支持なら黒い箱に投票などといった自由とはかけ離れた選挙で、すでにソ連の言いなりの国を作り上げる準備をしていた。であるから国連監視下での南北総選挙をソ連は頑なに拒否。1948年5月に南半分のみで選挙は実施されることになった。選挙の結果、1948年8月に大韓民国が成立。翌年の9月に朝鮮民主主義人民共和国が成立した。金日成は首相となる。 金日成が初めて民衆の前に姿を現した1945年10月で、平壌でソ連軍を歓迎する式典が開かれた時の演説での金日成の年齢は33歳だった。金日成は、ソ連の大尉で、18歳の時に南満州にて朝鮮人が組織した抗日遊撃隊に参加し、その後に中国人が総司令官を務める東北抗日連軍に統合。しかし、満州での関東軍の弾圧を受け、金日成はソ連に向買う。ソ連では、やがて日本戦へと向かっていくことを想定して日本軍と戦争経験のある中国・朝鮮人を迎え入れ、金日成はソ連軍の大尉として訓練を受けた。しかし、日本は終戦を迎えたため計画は終わってしまった。大戦が終わると、ソ連のスターリンは、自分たちにとって都合のいい朝鮮人の指導者を連れてくるように命令を下し、推薦され選ばれたのが金日成だった。
朝鮮戦争と神格化
1950年には朝鮮戦争が起こる。北朝鮮は、ソ連から武器、中国から兵の支援を受けて韓国に攻め入り韓国を武力で併合しようとした。当初は北朝鮮有利に展開するも、韓国側でもアメリカを中心に国連軍が韓国支援をし形勢は逆転する。北朝鮮は中国国境まで追いつめられ、中国から100万の軍が駆けつけ膠着状態となり1953年7月に休戦協定が結ばれた。休戦協定ではあるが、北朝鮮では「戦争に勝利」ということになっていて、以降、金日成の権力が強化されていった。
そんな中、”静粛”と呼ばれる自国内弾圧を行い、罪のない人を殺したりした。1956年から1958年にかけては静粛は激増した。政府の悪口を言うと、住民同士で互いに密告させているため、密告されれば僻地に送られたり、強制収容所に送られたりもした。知ってて密告しなくても罪に問われる状態であった。また北朝鮮の各地に金日成の銅像や肖像画が掲げられると、「敬愛する首領である金日成さま」と呼ばなければないほど個人崇拝の確立化が行われていった。彼の死後、遺体は保存処理され、彼の存在は神格化された。
参考文献
歴史年代ゴロ合わせ暗記: http://www12.plala.or.jp/rekisi/kitatyousennkimu.html
concierge: https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4612 世界史の窓: http://www.y-history.net/appendix/wh1601-106.html
HN:kongta