長岡京
出典: Jinkawiki
784年に桓武天皇によって遷都された都で、それから平城京に都が移るまでの10年間日本の首都であった。 現在の京都府向日市・長岡京市・京都市西京区に位置していた。
781年に天皇に即位した桓武天皇は奈良での強い仏教勢力から逃れるために長岡京に都を移したとされている。 唐の長安をモデルとしている。宮城に面する宅地には宮外官司や天皇の離宮・貴族の宅地を配置し、それ以外の宅地は均等な規模に整え、中小官人層以下の下級階層に班給する戸主制という都市制度ができ、初めて本格的な都市が成立した。平城京までの都市計画は基本的に宮城中心で、宅地面積は道幅に規制され不均等だった。奈良時代後半頃から下級官人層や兵士が京内に住むようになり、小規模な宅地配給政策が必要になったため、この問題解決のために戸主制となった。
長岡京は水運に恵まれ、近くに3本の大きな川が淀川と合流する場所があった。そこに全国からの物資を荷揚げする港が設け、そこから川をさかのぼると直接都に入ることができた。
しかし長岡京建設の中心人物である藤原種継が暗殺され、早良親王が疑いをかけられたことで無念の死をとげると、奇怪な事件が続発した。 疫病の大流行・皇太子の発病・日照りによる飢餓など。これが早良親王の怨霊が原因であるとされ、霊を鎮める儀式を桓武天皇は行った。それでも奇怪な事件は起こり続け、これを天皇の力がないやめだと民衆に判断されることを恐れた桓武天皇はわずか10年で平安京に都を移すことにした。
参考文献
『長岡京遷都』 国立歴史民俗博物館編 歴史民俗博物館振興会
『もういちど読む山川日本史』 五味文彦編 山川出版社