集団的自衛権
出典: Jinkawiki
国連憲章は、武力による威嚇または武力の行使を一般的に禁止しているが(第2条4項)、その例外として、
「武力攻撃が発生した場合には」「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を行使することを認めている(第51条)。
集団的自衛権については憲章はなんらの定義もしていないが、たとえ自国が直接には武力攻撃を受けていなくても、
自国と深い関係にある他の国家が武力攻撃を受けた場合には、これに対して防衛する権利であるといってよい。
憲章に集団的自衛権についての規定が加えられたのは、1945年のサンフランシスコ会議においてであり、
憲章の原案たる前年のダンバートン・オークス提案には含まれてはいなかった。
原案では、地域的取極や地域的機関による強制行動は、旧敵国に対するものを除いて、すべて安全保障理事会の許可を要するものとされていた。
したがって安全保障理事会において少なくとも5常任理事国の一致がない場合には、
地域的取極や地域的機関による強制行動は不可能という結果になる。これに反発したのは主として米州諸国であった。
これらの諸国は、サンフランシスコ会議の直前にチャプルテペック規約に署名し、第二次世界大戦終了後に相互援助条約を締結することを約束していた。
しかし、安全保障理事会の許可がなければ、このような相互援助条約に基づく行動がとれないというのでは、
条約の機能がきわめて限られたものとなることは明らかである。
サンフランシスコ会議で、アメリカが強く集団的自衛権の規定の挿入を推進したのは、このような背景があったからである。
その結果、地域的取極や地域的機関による行動には安全保障理事会の許可を要するという規定を維持しながら(第53条1項)、
その例外として集団的自衛権に基づく行動は、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」は、
単に安全保障理事会に報告すれば足り、許可を必要としないという現行憲章の構造が成立した。
その後、多くの相互援助条約、集団安全保障条約、軍事同盟条約が各国間に締結されてきたが、
そのほとんどは明示的に集団的自衛権を法的根拠として援用している。
米州諸国は早速1947年に全米相互援助条約に署名し、
「アメリカの一国に対するいかなる国の武力攻撃も、アメリカのすべての国に対する攻撃とみなすことに合意し」、
「個別的又は集団的な固有の自衛権を行使してそのような攻撃に対抗するために援助することを約束」(第3条1項)した。
そのほか、48年のブリュッセル条約、49年の北大西洋条約、55年のワルシャワ条約など、いずれも集団的自衛権を基礎として規定している。
日米安全保障条約も、両国が個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを確認した(前文)うえで、共同防衛を規定(第5条)している。
もっとも政府の解釈では、この条に基づく行動はアメリカ合衆国については集団的自衛権の行使に相当するが、
わが国については個別的自衛権の行使に相当するという。
共同防衛が「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対するものだからである。
しかし、わが国がアメリカ合衆国に基地を提供し、軍事的に結合すること自体、集団的自衛権を基礎としなければ説明することができないと思われる。
集団的自衛権の行使は、かならずしもあらかじめ条約や協定によって約束されている場合にだけ許されるわけではない。
条約上の根拠がなくてもこの権利を行使することが認められる。しかし、国連憲章第51条の規定の成立経過や、その後の実行にみれば明らかなように、
集団的自衛権はむしろ軍事同盟網の形成の法理的基礎として機能してきた。
そのために、集団的自衛権のこのような機能は、本来、国連憲章が構想した集団的安全保障の機能を逆に減殺すると評されている。
参考ページ
yahoo!百科事典 http://100.yahoo.co.jp/