難民7

出典: Jinkawiki

目次

難民

難民一般の意味について国際社会一般において確立している定義はないが、広い意味では、さまざまな理由のために本国の保護を受けることができすにその生命・身体が危険にさらされるおそれのある者、ということができる。英語ではrefugee.1951年ジュネーヴで開催された国連全権会議で採択された難民の地位に関する条約(難民条約)には120カ国をこえる諸国が批准または加入しており、第1条では、〈難民とは人種,宗教,国籍若しくは特定の社会集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、本国外に出て本国の保護を受けることができず、またはそれを望まない者をいう〉と定義されている(また,顕著な政治的対立関係が理由で迫害を受ける者は、日本ではとくに政治亡命者といわれるが、この難民条約上の定義にいう、政治的意見を理由として迫害を受ける者の典型でもある)。したがって同条約に加わっている世界の大多数の国で、この定義による難民の概念が適用されていること、さらに、難民条約に未加盟の国に対しても、難民条約の基本的精神にのっとって難民を取り扱うよう、国際社会でしばしば要請されることを見れば、難民一般の意味は、事実上は難民条約上の難民概念である、ということもできる。しかし,実際に世界各地で生じている難民問題について、難民条約上の難民概念では必すしも十分に対応しえなくなってきている。というのは第1に20世紀後半に入ると、アジア、アフリカ、中南米などでは、内戦や外国の武力干渉、環境破壊や飢餓を逃れるために、大量の人々が国外に流出するようになった。第2に、難民条約上の難民の場合、申請者個々についての難民資格要件の有無は、〈主として申請者により提出される証拠に基づいて客観的に認定すべきである〉という要請が含まれている。しかし、難民が大量に流入してきた場合、個別的かつ客観的に審査を行うことが技術的に困難であったり、難民の流出の原因が多様な要因と絡み合っていることがしばしばあるからである。

大量難民現象

国際社会一般において関心の対象となるのは, むしろ大量難民現象である。大量難民現象では, 一国または一定の地域から短期間に大量の人々が一定の事態の理由で国外に逃れ、隣接諸国に大量に流れ込み、さらには世界各国に分散していく。難民が大量に流入する国にとってその負担は非常に重く、そのため安全保障の観点から対応策が考えられたり、難民発生国の国家責任を追及しようとする声が高まる。さらに、近年世界各地での紛争にともなって、一方では大量の難民が流出し、他方では大量の国内避難民が発生している。従来、難民の要因の一つは、その本国外に出ることであったが、国内避難民は、逃亡の理由においては難民と同じであり、国内に留まっているという点においてのみ難民と異なる。民族対立が内戦に発展した場合や、戦争の結果国境線が変更された場合に、大量の国内避難民が発生する。第1次世界大戦後のギリシア難民、プルガリア難民、アルメニア難民、90年代のボスニア・ヘルツェゴヴィナの国内避難民などがその例である。なお、前2者については住民交換のかたちで、オスマン帝国の支配から独立した新国家にひきとられ、アルメニア難民の多くはソ連領内に逃れた(アルメニア人)。多数の難民を受け入れていた欧米先進国などの諸国の難民受け入れ容量が満杯になるにつれて、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国内避難民の場合のように、国際社会は国内避難民への人道的援助や保護活動に関心を集めている。国内避難民の場合、その身辺の安全の確保が最も重大な問題であり、かつ国際社会にとっても対応の難しい問題になっている。

難民の受け入れ

1948年国連総会で採択された世界人権宣言第14条では、迫害から避難する権利が定められているがこれは国家の行動基準を宣言したものであって、個人の法的権利を認めたものではないと理解されている。この宣言を含むその後の国連総会決議を通じて、世界のほとんどの国は、 難民の受け入れが一般に各国の主権的自由であって、義務ではないことを表明している。しかし実際には多くの国で、難民条約上の難民概念に該当する者を狭義の難民、それに該当しない生命・身体が危険にさらされる者を広義の難民として区別し、それによって法的根拠も別にして受け入れを行っている。西欧の一部の諸国では、前者をAステイタス難民、後者をBステイタス難民として区別している。難民条約では締約国による難民の受け入れを義務づける規定はないが、各国は狭義の難民を事実上当然にまたは国内法上義務として受け入れている。ドイツ憲法は国の義務とする(ドイツ基本法)。他方、広義の難民または大量難民の受け入れについては、各国はそれを義務とはせず、 国の裁量権の範囲内に留めておこうとする。難民の大量流入による経済的、社会的または政治的な負担や、変動しやすい難民受け入れの容量を考慮する余地を残すためである。国連難民高等弁務官は,従来、広義の難民を含めて広い範囲で難民を保護するように各国に呼びかけており、欧米各国も人道的な立場から難民を受け入れてきた。とりわけ、インドシナ難民の場合、難民が大量流入した近隣諸国の負担を軽減するために、先進諸国を中心に各国が分担して難民を受け入れる制度が設定された。しかし、経済的豊かさを求めて移動してきたと思われる者がしだいに増加してくるにつれ、欧米各国も広義の難民の受け入れを制限するようになてきている。

日本の難民対策

戦前、ロシア難民やユダヤ難民が日本に到来したことがあったが、政府は功利的観点から一部の難民に好意的姿勢を見せたものの、むしろ難民一般の受け入れには否定的であった。戦後も難民(亡命者)保護制度の確立を要請する世論はあったが、その要請は実現されなかった。しかし、1975年のベトナム難民の入港以来、難民対策を設定する必要に迫られた。78年政府はベトナム難民の定住を認める制度を閣議了解のかたちで認定した。 79年以降インドシナ難民の定住受け入れを一定人数枠まで認めることになった。この人数枠は限界に近くなる都度広げられ、85年以降一万人になっている。また難民条約の加入も、一面では内外の世論に押されてであったが、1981年に実現し、82年から同条約は国内的にも実施されるようになったし、難民認定手続き原則が〈出入国管理及び難民認定法〉にさだめられた。ただし、インドシナ難民に適用される受け入れ制度は他の難民には適用されない。また、難民条約上の難民と認定された者は条約条約適用以来200人余りにとどまっており、認定制度についての問題点が指摘されている。なおインドシナ難民としての新たな受け入れの打ち切りが94年国連で決定された。

参考文献

梅棹忠夫「世界民族問題辞典」平凡社 2003 国連難民高等弁務官事務所編「世界難民白書」読売新聞社 1994 本間浩「難民問題とは何か」岩波新書 1990


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