青鞜社
出典: Jinkawiki
概要
青鞜社とは生田長江、森田草平らの講座「閨秀文学会」に参加し文学に関心を持った平塚らいてうの首唱で、木内錠子、物集和子、保持研子、中野初子らの20代の女性5人が発起人となり、明治44年田村俊子、野上弥生子ら18人を社員として結成されたもので、機関誌『青鞜』を発行し、婦人解放運動を精力的に展開した、文学的思想啓蒙運動団体の名称。 雑誌『青鞜』の発刊は同じ年で、当初は詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放運動に発展していった。
機関誌 青鞜
1911年9月から 1916年2月まで52冊発行された、女性のみによる月刊誌の名称。 『文学史的にはさほどの役割は果たさなかったが、婦人問題を世に印象づけた意義は大きい』との論もある。 創刊号の表紙は、長沼智恵子が描き、巻頭を与謝野の詩が飾った。そして平塚が、『原始女性は太陽であった』に始まる創刊の辞を載せ、初めて「らいてう」の筆名を使った。
平塚らいてう
1886年2月10日 - 1971年5月24日は、日本の思想家であり評論家であり、青鞜社において機関誌『青鞜』の製作に関わる作家でもあった、また戦前と戦後に亘る婦人解放運動(女性解放運動)に尽力し、フェミニストな一面もあった。後年には平和運動にも関わっていた。
参考文献 http://www.city.bunkyo.lg.jp/_4587.html
大修館書店 らいてう研究会編:『「青鞜」人物事典 110人の群像』
岩波新書 堀場清子:『青鞜の時代 平塚らいてうと新しい女たち』
HN-tonto