魔女狩
出典: Jinkawiki
魔女狩
魔女狩とは中世から近世初期のヨーロッパで、諸国家と教会とが異端撲滅と関連して特定の人物を魔女と疑い、その罪をただし問う魔女裁判を行い焚刑に処したことである。1590年~1610年まで、1625年~1635年、1660年~1680年の三度の特に激しい時期があった。18世紀啓蒙思想の普及とともに下火となる。魔女狩の流行は一種の集団ヒステリー、いわゆる現代人より強かった中世の人々の恐怖心からくる妖術信仰、魔女妄想の結果であり魔女の実態は勿論、その実在についてもわからないことが多い。
魔女の存在は1484年、法王が回勅「緊急の要請」を公布し断定し審問官の活動を擁護される。1486年『魔女の鉄槌』が公刊されると本格的な魔女狩の時代が始まった。この本では恐るべき魔女のイメージが決定され、絶対の権威として世に行われたのである。当時の神学者や教会関係者のすべてが論旨に同調したわけではないが、一度権威を確立したのちは批判すること自体が魔女であると自白するのと等しくされた。魔女裁判では拷問が用いられ自白が強要された。犠牲者の正確な数字はわからないが、一説には10万を超えるという。
魔女であるかと問われた場合、否定するには魔女ではないと証明しなければならない。そのため肯定せざるを得ず、疑われた者は首を絞められ火刑に処された。否定し証明を迫られた者は連行時に殺害された。より苦痛である処刑の仕方を求め、科学者達は人体を研究し、疑われる者が現れる度に最も苦しいとされる処刑を行った。
魔女
魔女とは超自然的な方法を用いて他人あるいは社会に害を及ぼす女性。悪魔に仕えて悪霊を駆使し、占卜や呪法の超人的能力をもって意図的に隣人の身に事故を招いたり、家畜を病気にするなど、様々の害悪を及ぼすと信じられたものをいう。邪術を用いる女邪術師のことであり、こうした魔女は多くの社会に存在している。しかし、狭い意味で、中世から近世ヨーロッパの女邪術師を魔女と呼ぶことが多く、箒にまたがって空中飛翔や変身、大窯で呪薬を調合したりといったイメージはこのヨーロッパの魔女像によるものである。
魔女は錯綜とした抑圧と十分に満たされることのなかった本能的欲望の産物でもある。魔女は清らかで、純潔な処女の裏面であり、抑制し、限定し、掌握しなければならない大地的、野性的な力を具現するものであった。排除された自然の力、あるいは同化されず抑圧された自然の力、しかしまた不安と一つに結びついた罪悪感が集光レンズに集中するがごとく魔女に集中したのである。抑圧された女たちからの復讐に対する男性の不安、まさに病的でヒステリックな形となって現れた男性の不安が、事実魔女迫害の全てにわたって貫いている。それは、当時の魔女の書物、審問調書に隠しがたく現れており、この世の渦は魔女のせいとみなされていた。だから魔女を根絶する必要があった。それゆえに、当時魔女とされ殺害された人間の80%もが女性であったのである。
ヨーロッパの魔女
今日一般的な魔女がヨーロッパの魔女だ。彼女らは深夜、箒にまたがって魔女集会へ出かけ、そこで悪魔と性的関係をもつ。彼女らは悪魔との契約のもとに、まじない薬なども使用しながら社会に災悪をもたらす等する。だが、こうした魔女像はいわゆる「魔女狩」の時代に成立した、キリスト教からの見方である。旧石器時代の洞窟壁画があるように魔女の歴史は大変古いが、実際彼女達は、占い師や助産師、女呪医として、呪薬を用いながら病気治癒に従事する女性であったと考えられている。そして、このような形而下の肉体を扱ってきた女性たちは、キリスト教の浸透とともに、形而上世界の逸脱者とみなされ、魔女とされ迫害されたのである。
魔術
魔女が使う普通の人とは違った特別の能力のことを魔術という。しかし、近世までのヨーロッパの社会では魔術というのは誰もが近づきうる、そして習得しうるごくありふれた生活の知恵だった。魔術を悪い意図で用いれば黒魔術であり、それを用いるのが魔女だ。魔女の告発理由の圧倒的大部分はいわゆる「害悪魔術」である。病気、死、痛み、食物の腐敗、農作物の被害、家畜の障害など、誰の身にも降りかかる不幸や災難について、あいつが魔法をかけて起こしたのだ、と解釈し害悪魔術を使ったとされるものを啓発するのである。天候が不順で農作物が実らなかった年、疫病が流行った年など大きな災厄が起こった年(ヨーロッパでは1560年代から気候悪化で厳寒と湿気の多い冷夏が繰り返されるようになった。とくに1580年代後半、1620年~30年と、1660年~70年代は厳しかった)の翌年は、害悪魔術の結果とされ、魔女狩が多く発生された。不幸、特に個人的な不幸は「どうして自分が」という答えのない問いを生み、合理的説明をされても実存的な問いに答えられない。この場合、誰かが魔法をかけたという説明は有効であったため、害悪魔術が信じられていったのだ。また、魔術は盗みと同質を含んでいるとされる。そのため、自分の牛が乳を出さなくなったのは魔女が牛乳を盗んだからだ、という発想や病気になったのは、その人の生気が魔女に吸い取られたからだとされた。
魔女裁判
悪魔と契約を結んでキリスト教を棄て、悪魔の術に助けられて他人に危害を加えたとする魔女の裁判を、魔女裁判という。魔女大量迫害期の被告人尋問の内容は、しばしば定型化された尋問カタログにまとめられ、裁判官の間で流通していた。この尋問は荒唐無稽で、すべて妄想に囚われた裁判官のでっちあげと一般的に思われるが、実際は裁判官はきわめて誠実にその職務を果たそうとしていた。魔女裁判は法律学的難題とされ、学識に自身のない裁判所はあえて費用のかかる鑑定を複数の宛先に依頼したりもした。この誠実さこそが魔女裁判の冷酷さ、恐ろしさのゆえんでもあり、裁判官が悪を憎み真実を知ろうとしたからこそ、執拗な尋問を繰り返し、被告を悪魔の手から解放するための拷問を使ったのである。
【参考文献】
法政大学出版局『教皇と魔女ー宗教裁判の機密文書よりー』(ラインデッカー 訳 佐藤正樹、佐々木れい)2007.11.25
白水者 『魔女現象』(進藤美智 訳)1993年
小学館『日本大百科全書21』(渡邊静夫)1985年
吉川弘文館『魔女裁判 魔女の民衆のドイツ史』(牟田和男)2000年
『広辞苑』
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