GHQ5
出典: Jinkawiki
GHQの歴史
1942年(昭和17年)4月、米、英、蘭、豪軍からなる連合軍(南西太平洋軍)総司令部がメルボルンに設置され、マッカーサー米陸軍大将が総司令官に任命された。1945年(昭和20年)4月、米軍が沖縄本土に上陸した直後、米太平洋陸軍総司令部GHQ/USAFPAC(総司令官・マッカーサー元師)が設置された。同年7月ブリスベーンに移転。ここで対日反攻作戦が練られた。日本本土侵攻を目前にした同年8月、マニラの米太平洋陸軍総司令部内に民政を担当する軍政局が設置され、進駐1か月後の10月2日、本格的な日本本土占領のための連合国最高司令官総司令部GHQ/SCAPが設置された。ここに米太平洋陸軍総司令部と連合国最高司令官総司令部の二重構造が成立することになったのである。
GHQの戦後改革
占領改革の基本目的は「日本が再び世界及び米国の脅威とならないこと」であり、そのための非軍事化・民主化であった。この非軍事化政策は、反戦思想にようやく目覚めた日本国民の意思と一致しており、これが平和憲法、平和産業、平和教育を通じて戦後体制の基本的性格を決定し、戦後日本経済の高度成長をもたらす背景となった。具体的には武装解除、軍需産業の民需産業への転換、公職追放(軍医パージを含む)、戦力不保持(憲法第九条)に始まり、その後、自衛隊が創設されても専守防衛的性格にとどめ、PKOなどの国際貢献も非軍事に限定する力となっている。 民主化政策は非軍事化政策と相互補完的で、弾圧立法撤廃、政治犯釈放、特別高等警察廃止、内務大臣罷免などを含む「人権指令」にはじまり、憲法改正、警察改革、選挙制度改革、地方自治改革、官僚改革などの一連の政治改革、財閥解体、農地改革、労働改革などの経済改革、教育改革、宗教改革、マスコミ改革、婦人解放などの社会改革がなされた。しかし、27年間にわたるアメリカ軍による単独軍事占領をうけた沖縄島民は、本土のような非軍事化・民主化に値するいわゆる「戦後改革」を享受することなく、極東における軍事的・戦略的要石として機能させられ、本土の平和の代償的役割を演じさせられた。
参考文献:「GHQの人びと-経歴と政策-」 竹前栄治 「占領1945-1952」 ハワード・B・ショーンバーガー