IRA
出典: Jinkawiki
■IRAとは、英国からの独立と民族自決による共和国の樹立を目指した1969年4月の復活祭蜂起から、1919~21年にかけての対英独立ゲリラ戦争の中で、それまでの「アイルランド義勇軍」が「アイルランド共和国軍」に変わっていったものである。
しかし、1920年の英国の「アイルランド統治法」によるアイルランドの南北分割がナショナリスト(カトリック)の民族自決の原則による共和国樹立を大きく妨げ、それ以降現在に至るまでアイルランドの南北分割が続いている。 よって、IRAはその成り立ちと変遷によって、三段階に分ける事が出来る。
①対英独立戦争時のIRA
②アイルランドの南北に走る「国境」の解消を目指すIRA
③1969年以降のカトリック住民の守護者として、
「銃弾と投票箱」のスローガンに象徴されるような、IRAとシン・フェイン党との二本立て路線を推進したIRA
この項では③、特に第二次世界大戦以降、和平に至る前までのIRAについて取り上げる事とする。
■第二次世界大戦が終わると、アイルランドでは「人民党」が結成され、その2年後の総選挙では統一アイルランド党のコステロを首相とした連立内閣が誕生した。そのような背景で、ダブリンではIRA再建の動きが始まり、執行部が再建された。(それまでは英国本土から弾圧を受け、衰退期であった。)大会では「きた6州の対英軍事闘争を支援すること」「南26州では攻撃的な軍事行動に出ないこと」、そしてIRAとシン・フェイン党との合併が決議された。これにより、シン・フェイン党はIRAの合法的な政治組織となる。その後IRAは国境闘争に踏み切るが、圧倒的な戦力の差で撤退を余儀なくされた。
■アメリカの黒人運動の影響を受けて、北アイルランドではカトリック住民の差別に対する公民権運動が始まった。アルスター警察(プロテスタント)が激しい弾圧を加えたことをきっかけに、警官隊との衝突がしばしば暴動にまで発展した。英政府は400人の英兵をデリーに派遣し、ベルファストではプロテスタントが西ベルファストのカトリック居住地区を襲い、400軒の家が焼かれ10名の死者が出た。
北アイルランドに住んでいた若者の大部分が見ていたのは差別による失業や慢性的な貧困であり、プロテスタントの軍事組織やアルスター警察の(確固たる理由の無い)襲撃におびえる地域住民であった。よって、若者が次々とIRAに志願する理由は政治的思想や歴史的観点から来ると言うよりは、自分たちを日常的に脅かす「敵」と戦う手段が用意されていたから、と考える方が妥当だと言える。実際、カトリック住民は復活したばかりのIRAに助けを求めざるを得なかったし、IRAに加入することは名誉な事だと考えられていた。
■IRA内での意見の不一致が原因で、1970年にIRAは暫定派と正統派に分裂する。(正統派はその後消滅する。)IRA暫定派は直ちに軍評会を開き、「ナショナリスト住民の防衛を準備する」「英兵がナショナリスト住民を悩ますならば報復をする」「英国の占領体制を最終的に攻撃する準備をする」という目標を掲げた。そして、1970年6月のベルファストの暴動の差異に初出動した。IRAは教会に陣を置き、プロテスタントの軍事組織と23~翌5時まで打ち合って教会とカトリック民衆を”守った”のである。
闘争は更に激化し、1971年7月には北6州に非常拘禁法(インターンメント)が施行された。これは裁判なしで拘禁できるという法律であり、拘禁の理由について、警察は何も告知する義務は無かった。導入後の4年間で約2000人が拘禁され、そのうちの数100人かそれ以上の人数が拷問にかけられた。永久的な損失を身体に負った者もある。捕まらなくても家を破壊され、ガスを充満させられたりして、理不尽な弾圧はエスカレートする一方であった。
■1972年1月30日、「血の日曜日」事件が起きる。
デリー市の公民権グループのデモ隊に、英国のパラシュート部隊が何の警告もなしに発砲、カトリックの民衆を14人殺すという事件である。犠牲者の半数以上が20歳以下であり、その後「血の日曜日」事件は北6州のカトリックの受難のシンボルとなった。
これにはアイルランド政府も激怒し、北6州は直ちに市街戦が開始されそうな状態に陥った。英政府は窮地に追い込まれ、1972年3月に北6州議会の停止と英政府による北6州の直接統治を宣言した。それは、50年に及ぶプロテスタントによる独裁体制の崩壊であった。
6月下旬からIRAは無期限の停戦に入り、7月には参謀長始めIRA代表団が英軍機に乗ってロンドンに飛び、英政府の北6州担当相と極秘会談をした。しかし話し合いは成功せず、IRAの停戦は2週間で終わった。
参考文献
「北アイルランド 紛争の歴史」
「アイルランド問題とは何か」
--Bunkyo-student2008 2009年6月17日 (水) 19:28 (JST) Cos