PTA
出典: Jinkawiki
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PTAとは
PTAとは、父母の委員が中心になって企画し、運営する組織で、先生も本来は自由意志で参加すべきものであり、Parent-teacher Associationの頭文字を並べたものです。「父母と先生の会」なのです。先生のTより、父母のPのほうが先にきます。父母と先生が一緒になって、子どもたちのために活動する目的でつくられた組織です。
PTAの誕生
戦前の日本の学校には、父兄会がありました。父兄会の中に「母」の文字が含まないのは、戦前の日本では、女性が学校のことに口出しするなど考えられなかったためである。戦後、日本を占領したアメリカは、日本の教育の民主化を進めようと考え、PTAもその1つで、わが子が通う学校に対して親の立場から発言できるようにした。つまり、親の権利を認め、父兄という言葉がペアレント=父母になって女性が発言権を持つようになり、親と先生が対等な立場となった。 PTAのA=アソシエーションは、任意の団体を意味し、学校に必ずなければならないもの、というわけではない。 任意の団体ということは、参加する、しないも本来は個人の自由意志なのです。戦後まもなくは、子どもが入学すると親にPTAの参加申込書が配られ、それぞれ任意で申し込んでいました。それが、いつしか自動的に全員が加入するようになり、会費を毎月払っている。PTAは、教育委員会にも文部科学省にも属しておらず、まったく独立した組織である。
役割
各学校のPTAは通常、会長、副会長、書記、会計の4人の役員を選ぶことになっている。文部科学省が戦後まもなくの1948年にまとめた「PTA参考規約」によると会長と会計は父母、副会長は「教員または父母」、書記は教員となっており、父母と先生が協力し合う組織だがそのリーダーシップは親がとるという原則を示している。 学校のPTAはまず各クラスから「学級代表委員」を1人選びます。このほか、通常は4つくらいの各種の委員会があり、各クラスから選ばれた人たちが委員になって参加します。この委員会は、学校によって名前や活動内容が異なりますが、大体は地区(校外)委員会、教養(成人)委員会、厚生(保健)委員会、広報委員会の4つである。地区委員会は、学校のある地域の環境を整備して、子どもたちが安全に通学できるようにしようという委員会です。通学区域に危険な場所があったら、役所にかけあって改善してもらったり、深夜に子どもがたむろしていないかパトロールする等の活動である。 教養委員なら、父母の教養を高めるための活動をする。別の名として成人委員会と呼ばれることがあるが、これは、文部科学省の「PTA参考規約」のなかに「民主社会における市民の権利と義務とに関する理解を促すために父母に対して成人教育を盛んにする」という目標があったことに基づいている。日本を民主化するためにPTAが、父母に民主主義を教える活動をする組織として期待されていた。 厚生(保健)委員会は、子どもたちの健康を考える委員会で、具体的には、学校給食の試食会などを開いて、子どもにふさわしい給食の在り方を考えることが多いようである。また、広報委員会は、PTAの活動を会員に知ってもらうために「PTAだより」を編集・発行する仕事です。会員にアンケートをとったりして、学校のこと、子どもたちのことを父母に考えてもらおうとメンバーが原稿書きに奮闘するというのが一般的です。
各学校のPTAが何をするのかを決める最高意思決定機関は「総会」です。ここで決まったことに基づいて日常の業務は「運営委員会」が行う。この運営委員会の下に各種の委員会が並ぶ。 PTAの役員を務めると、「P連」と呼ばれる、各学校のPTAが集まってつくっている連絡協議会がある。各学校のPTAは「単P」(単位PTA)と呼ばれ、この単位PTAが集まって市区町村単位でPTAの連絡協議会がつくられ、その上に都道府県の連絡協議会があり、さらに全国組織として日本PTA全国協議会がある。 各学校を土台に、市町村、都道府県、中央とピラミッド型の組織になっている。また、日本PTA全国協議会は、2013年度より公益社団法人になった。
アメリカのPTA
日本のPTAはアメリカのPTAを手本にして、アメリカの指導のもと発足したが、実体としては文部科学省を頂点とするピラミッド型の階層組織で、良くも悪くも戦前からの日本的な体質をもったPTAとして定着した。 アメリカのPTA運動の歴史は1897年に結成された「全国母親協議会」(ナショナル・コングレス・オブ・マザーズ)に遡る。米国では、1907年から教師も加盟することになり、24年に「全国父母・教師協議会」(ザ・ナショナル・コングレス・オブ・ペアレンツ・アンド・ティーチャーズ)が結成され、自分の子どもが通う学校に限定することなく、全国あるいは世界の子どもたちの福祉の増進、環境改善を目指した1つの教育運動として位置付けられていた。このため、米国のPTA組織は、学校を単位とするだけではなく、地域や教会等を単位に組織されていた。通学する子どもの保護者だけではなく、活動趣旨に賛同するさまざまな立場の市民が加入する。保護者でもその意思がなければ加入しないし、現にそうした親も少なくなく、PTAは地域単位の自主的な組織なのである。
問題点
PTAをめぐる問題の1つとして、T抜きのPTAがある。PTAは、P(親)とT(先生)が一緒になって活動するものですが、先生の多くは「PTAは保護者たちのもの」という思いが強く、自分たちも一緒になってつくっていくという意識の薄さが指摘されている。 また、PTAの委員会自体、平日の午前中に開かれることが多く、授業をしている先生は参加できません。 PTAの会合が平日の昼間開かれることについて、教育評価家の永畑道子さんは自らが長年PTAに関わった経験から、「戦後まもないときの〈夜のPTA〉」がいつも間にか崩れてしまい〈働いている人は関わらぬPTA〉になってしまった。どんなに働いていても、多忙であっても子どもを育てる責任は父・母・教師が背負っているはずなのに。働くことは人間として当たり前で、委員えらびを避ける理由にはならない。たとえば先生たちは、学校の仕事が終わってあとに一市民としてPTAに出席する。働いている父母も夜か休日か、労働のあとにPTAに出る。これが原則のはずである」(『PTA歳時記』より)
参考文献
・小田桐誠(2002)『PTA改造講座』日本放送出版協会
-saly