RUF(革命統一戦線)

出典: Jinkawiki

概要

指導者・創設者はサンコー。サンコーは元政府軍の伍長であったが1991年に反政府組織RUF(革命統一戦線)を創設。隣国であるリベリアの内戦時、テイラー(元リベリア大統領)の率いるリベリア国民愛国戦線と同盟し以後密接な関係を築く。RUFはシエラレオネなどの国で産出したダイヤモンドをリベリアを経由して違法にベルギーのダイヤモンド市場に流しているといわれる。ダイヤモンドを与えた引き換えとして、リベリア国民愛国戦線から武器提供を受けていた。シエラレオネなどには良質なダイヤモンドが多く、量も豊富であった。ダイヤモンドの売却による代金により、自動小銃、地対空ミサイルや対戦車ロケットといった装備を整えていた。 1991年3月、シエラレオネの独裁政権に反対したRUF(革命統一戦線)が武装蜂起した。RUFは虐殺や略奪を重ねながら支配領域を増やしていった。領域内で算出されるダイヤモンドがRUFの資金を潤し、武装も同時に充実していった。 1996年3月にカバー文民政権が誕生したが、RUFはこの文民政権とも激しく対立し、軍部の一派と組んでクーデターを成功させた。それにより軍事政権を誕生させたが、ナイジェリアなどからの軍事介入により短命に終わった。文民政権は改めて復活したがRUFとの対立はとどまるところを知らなかった。 1998年10月になると、RUFがアフリカ全土で大攻勢をかけ、最終的には全国土の3分の2以上(首都を含む)を支配下に収めてしまった。 1997年7月にロメ和平合意がなされ、国連監視下での武装解除と引き換えにRUFの政権参加が認められたが、RUFが武装解除に応じることはなかった。 1999年クーデターの失敗なのを皮切りに政府側との停戦に合意する。国際連合シエラレオネ派遣団(UNAMSIL)が武装解除ミッションを実行される。その後、創設者サンコーが拘束される。 2003年にアハメド・フォディ・サンコーが死去。2004年にはUNASILにより7万人以上の戦闘員に対する武装解除が終了する。政党に改組。2007年に全人民会議(APC)に吸収合併。実質的に消滅する。


軍事上の特徴

RUFの誕生直後にシエラレオネ東部のダイヤモンド鉱山を支配・占拠したことにより、豊富な資金と武器を確保した。非人道的な虐殺行動、略奪、破壊行動を繰り返すことが特徴的。この際に襲撃した街・村の住民に対し、手足の切断、殺害などを行ない村を焼き払った。奴隷や兵士として利用価値のある者たち(大人から子供まで)を拉致。麻薬漬けにしたり、精神的に幼い少年たちを洗脳し少年兵としてかり出すことも多かった。そういった少年兵は未だに存在する。たとえ開放されても、麻薬中毒になってしまったり、精神的な強いトラウマなどを抱えたりしていることが多く、問題は尽きない。


参考

Wikipedia [1] シエラレオネ~忘れられた内戦~[2] シエラレオネ内戦[3]

投稿者「リロード」


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