湾岸戦争12

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目次

湾岸戦争とは

イラクがクウェートに侵攻・占領し、これに対して国際連合安全保障理事会は、三度にわたり期限までに撤退するよう求めたが、これにイラクが応じなかったため1991年1月に多国籍軍が空爆を開始して始まった戦争のことである。多国籍軍はアメリカを中心とし、全37ヵ国によって構成され、中東ペルシャ湾北部からイラク南部を舞台にして行われた。


特徴

 湾岸戦争が行われた1980年代までの多くの地域紛争では、冷戦が背景にあったことから、アメリカとソ連という2大国が何らかの形で対立していたが、この戦争ではソ連もアメリカを支持し、先進国の意見が一致し「国連決議」によって動いたことが特徴である。冷戦後、世界の中でアメリカが唯一の軍事大国として組織されるという状況がここから始まったともいえる。


湾岸戦争における日本への影響

日本は湾岸戦争に直接参加することはなかったが、総額110億ドルを多国籍軍に資金提供という形で経済的支援を行った。この額を当時の日本国民一人当たりに換算すると、一人当たり約1万円に相当する膨大な資金であった。しかしこの対応に対しては、国内外問わず資金だけの支援であると批判もあった。国内からは「共に血を流す」貢献もすべきなのではないかといった議論もあり、自民党政府は議論に後押しされる形で1991年に自衛隊の海外派遣の検討を開始することになった。検討時、湾岸戦争の陸上戦は収束していたが、ペルシア湾に海外自衛隊を派遣し、水中の機雷等を除去する手伝いを行った。これは日本初の自衛隊海外派遣であった。戦後一貫として専守防衛に徹していた日本が海外に自衛隊を派遣するという転機を遂げ、「国際貢献」という名の下に大転換がはかられたきっかけとなった。


参考文献

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89

http://zatugakunoeki.com/yuraitorekisi/sensou/4863/

http://www.nippon.com/ja/features/c00202/

http://www.y-history.net/appendix/wh1703-048.html


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