トーベ・ヤンソン
出典: Jinkawiki
2015年7月31日 (金) 19:43の版 Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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- | + | 家族構成は、スウェーデン語系フィンランド人の父、スウェーデン人の母、6歳違いと12歳違いの弟二人。父は彫刻家、母は挿絵作家と、生まれながらに芸術に囲まれた環境で育つ(ちなみに弟二人もその後、それぞれ、写真家と小説家になっている)。名が知れた彫刻家であった父だが、彫刻の仕事はそう多くはなく、母がお金になる仕事を選んで絵を描いては稼いでいた。 | |
- | + | 勉強嫌いだったトーベは学校を15歳で学校を中退し、その後ストックホルムの工芸専門学校へ通い、画家を目指した勉強を始める。帰国後も今度はヘルシンキにある父の母校にて油絵を学び、その後はパリ、イタリア各地を巡り修行を積む。 | |
+ | 印刷物としてトーベの絵が世に出たのは13歳のとき。その2年後、挿絵が政治風刺雑誌「ガルム」に掲載される。1939年の秋以降は当誌に精力的に作品を投稿している。 | ||
+ | その後第二次世界大戦が始まり、「ガルム」にも検閲が入るようになってしまい、逃げ道として描き始めた童話がムーミン物語として続いていくことになる。 | ||
+ | 当時、相当な数のファンレターを受け取っていたが、それらすべてに返事を書いていた(弟談)。 | ||
+ | 泳ぐのがとても得意だった。 | ||
+ | ===画家としてのトーベ=== | ||
+ | 10代から20代にかけて工芸専門学校で基礎を、、その後の画学校では油彩科に進んでおり、トーベのアイデンティティはここにあったと言っても過言ではない。かなりの点数の油彩を描いており、画風は大きく三つの時期に分けることができる。 | ||
+ | #印象主義的、マティスの影響 | ||
+ | #表現主義 | ||
+ | #完全な抽象画 | ||
+ | フィンランドの研究者、エリック・クルスコップによる評価は「時代に一歩遅れた画家」。新鮮味に欠けるが、それは古い世代の画家の影響のせいではないかと評されている。 | ||
==ムーミン== | ==ムーミン== | ||
- | + | ムーミンがキャラクターとして初めて用いられたのは1940年代の「ガルム」。その後、自分の分身でもあったこのキャラクターを主人公に小説を書こうと完成させたのが「小さなトロールと大きな洪水」(1945年刊行)。このときは売れ行きが不調で早々に絶版。 | |
- | + | その後第二作~第五作の四作品は1968年に改訂版が刊行されている。 | |
- | + | *1946「小さなトロールと大きな洪水」 | |
- | + | *1946「ムーミン谷の彗星」 | |
- | + | *1948「楽しいムーミン一家」 | |
- | + | *1950「ムーミンパパの思い出」 | |
- | + | *1954「ムーミン谷の夏まつり」 | |
+ | *1957「ムーミン谷の冬」 | ||
+ | *1962「ムーミン谷の仲間たち」 | ||
+ | *1965「ムーミンパパ海へいく」 | ||
+ | *1970「ムーミン谷の十一月」 | ||
+ | フィンランドで生まれた作品なのに、スウェーデン語で書かれているのは、スウェーデン語系の家庭で育ったためである。 | ||
+ | 1952年、イギリスの夕刊紙の重役から、漫画でムーミンを描いてみないかと声をかけられ、1954年から7年間、漫画版ムーミンの連載が始まる。漫画に関してはほとんど素人であったトーベは、漫画の作法を学びに一カ月ロンドンに滞在したという。しばしばネタに困っては弟に頼り、七年回の契約が済んでからは、連載を弟に託している。 | ||
==参考== | ==参考== |
最新版
Tove Jansson (1914年-2001年) フィンランド、ヘルシンキ生まれの女性アーティスト。スウェーデン系フィンランド人の芸術一家に生まれ、若い頃にストックホルムやパリで絵を学ぶ。「ムーミン物語」の作者として知られるが、絵本作家のみならず、風刺画や漫画、絵画、小説など、様々な分野で活躍した。
目次 |
人物
家族構成は、スウェーデン語系フィンランド人の父、スウェーデン人の母、6歳違いと12歳違いの弟二人。父は彫刻家、母は挿絵作家と、生まれながらに芸術に囲まれた環境で育つ(ちなみに弟二人もその後、それぞれ、写真家と小説家になっている)。名が知れた彫刻家であった父だが、彫刻の仕事はそう多くはなく、母がお金になる仕事を選んで絵を描いては稼いでいた。 勉強嫌いだったトーベは学校を15歳で学校を中退し、その後ストックホルムの工芸専門学校へ通い、画家を目指した勉強を始める。帰国後も今度はヘルシンキにある父の母校にて油絵を学び、その後はパリ、イタリア各地を巡り修行を積む。 印刷物としてトーベの絵が世に出たのは13歳のとき。その2年後、挿絵が政治風刺雑誌「ガルム」に掲載される。1939年の秋以降は当誌に精力的に作品を投稿している。 その後第二次世界大戦が始まり、「ガルム」にも検閲が入るようになってしまい、逃げ道として描き始めた童話がムーミン物語として続いていくことになる。
当時、相当な数のファンレターを受け取っていたが、それらすべてに返事を書いていた(弟談)。 泳ぐのがとても得意だった。
画家としてのトーベ
10代から20代にかけて工芸専門学校で基礎を、、その後の画学校では油彩科に進んでおり、トーベのアイデンティティはここにあったと言っても過言ではない。かなりの点数の油彩を描いており、画風は大きく三つの時期に分けることができる。
- 印象主義的、マティスの影響
- 表現主義
- 完全な抽象画
フィンランドの研究者、エリック・クルスコップによる評価は「時代に一歩遅れた画家」。新鮮味に欠けるが、それは古い世代の画家の影響のせいではないかと評されている。
ムーミン
ムーミンがキャラクターとして初めて用いられたのは1940年代の「ガルム」。その後、自分の分身でもあったこのキャラクターを主人公に小説を書こうと完成させたのが「小さなトロールと大きな洪水」(1945年刊行)。このときは売れ行きが不調で早々に絶版。 その後第二作~第五作の四作品は1968年に改訂版が刊行されている。
- 1946「小さなトロールと大きな洪水」
- 1946「ムーミン谷の彗星」
- 1948「楽しいムーミン一家」
- 1950「ムーミンパパの思い出」
- 1954「ムーミン谷の夏まつり」
- 1957「ムーミン谷の冬」
- 1962「ムーミン谷の仲間たち」
- 1965「ムーミンパパ海へいく」
- 1970「ムーミン谷の十一月」
フィンランドで生まれた作品なのに、スウェーデン語で書かれているのは、スウェーデン語系の家庭で育ったためである。 1952年、イギリスの夕刊紙の重役から、漫画でムーミンを描いてみないかと声をかけられ、1954年から7年間、漫画版ムーミンの連載が始まる。漫画に関してはほとんど素人であったトーベは、漫画の作法を学びに一カ月ロンドンに滞在したという。しばしばネタに困っては弟に頼り、七年回の契約が済んでからは、連載を弟に託している。
参考
- ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン/冨原眞弓/2014.4
- 読んで旅する世界の歴史と文化 北欧/百瀬宏,村井誠人,他/1996.5
- ムーミン公式サイト http://moomin.co.jp/
- 生誕100周年 トーベ・ヤンソン展~ムーミンと生きる~ http://www.asahi.com/event/tove100/
(執筆:たなかなか)