大航海時代2

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佐藤次高他『詳説 世界史B』山川出版社 佐藤次高他『詳説 世界史B』山川出版社
-[大航海時代]www.vivonet.co.jp/rekisi/a09_sail/sail.html+[大航海時代]http://www.vivonet.co.jp/rekisi/a09_sail/sail.html
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目次

大航海時代とは

15世紀から17世紀前半にかけて、ポルトガル・スペインを中心とするヨーロッパ諸国が地球規模の遠洋航海を実施して新航路・新大陸を発見し、積極的な海外進出を行った時代。ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓、コロンブスのアメリカ大陸到達、マゼランの世界周航などが行われ、世界史上に、近代植民地体制の確立という転機をもたらした。発見時代。


ポルトガルの大航海

15世紀初め、ポルトガルのジョアン1世は、アフリカ西岸進出を開始、大航海時代に先鞭をつけた。まず、1415年にジブラルタルの入口にあたるモロッコのセウタを攻略し、ついでその子のエンリケ王子が主導して、1431年にアゾレス諸島、1445年にはヴェルデ岬に至った。ポルトガルはアフリカ西岸のギニア地方で金と黒人奴隷を獲得して利益を上げると、スペイン王国の進出に先手を打って、1455年にローマ教皇からキリスト教の布教を大義名分として、すでに「発見」され、さらに将来「発見」されるであろう非キリスト教世界における征服と貿易の独占権を認める教書を獲得した。  次にジョアン2世は、1482年にはアフリカ西岸のギニア湾に面したエルミナ(現在のガーナ)に要塞を建設し、金・黒人奴隷・胡椒・象牙などの獲得拠点とした。このころから明確にアフリカ南端への到達と、インド洋への進出をめざすようになり、バルトロメウ=ディアスを派遣し、喜望峰に到達した。1498にはヴァスコ=ダ=ガマがインド到達に成功した。


スペインの大航海

スペインは、大西洋を西に向かう航路に関心を示した。ジェノヴァ生まれのコロンブスは西に進めばインディアスという、インドを含むアジアにより早く達すると主張した。かれはスペイン王女イサベルの援助を受けて航海に出て、1492年に西インド諸国のサンサルバドル島に到達した。ついで、マゼランもスペインの命令を受けて西まわりでインドを目指した。彼自身はフィリピンで戦死したが、部下が1522年に故国に戻り、史上初の世界一周を達成された。


参考文献

岡崎勝世他『明解 新世界史A』帝国書院

佐藤次高他『詳説 世界史B』山川出版社

[大航海時代]http://www.vivonet.co.jp/rekisi/a09_sail/sail.html

[大航海時代 - Wikipedia] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%99%82%E4%BB%A3



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