パレスチナ問題7

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 +== パレスチナ問題 ==
パレスチナとは、地中海の南東岸の地方をさす名前のことである。ここは200年以上前、ユダヤ人の王国があった場所である。しかし、ローマ帝国によって国が滅ぼされ、ユダヤ人世界各地に散らばっていく。ユダヤ人たちは大2次世界大戦中には、ナチスドイツによって600万人ものユダヤ人が迫害された。戦争が終わったあと、ユダヤ人たちは、「自分たちの国を持っていいないからこんな目にあうのだ。自分達の国を持ちたい」と考えるのである。そしてかつてのユダヤ人の王国があったパレスチナに、大勢のユダヤ人が移住を始めたのである。しかし、パレスチナには、イスラム教徒のアラブ人たちが居住していた。ユダヤ人が大勢移住することで、問題が起きるようになった。 パレスチナとは、地中海の南東岸の地方をさす名前のことである。ここは200年以上前、ユダヤ人の王国があった場所である。しかし、ローマ帝国によって国が滅ぼされ、ユダヤ人世界各地に散らばっていく。ユダヤ人たちは大2次世界大戦中には、ナチスドイツによって600万人ものユダヤ人が迫害された。戦争が終わったあと、ユダヤ人たちは、「自分たちの国を持っていいないからこんな目にあうのだ。自分達の国を持ちたい」と考えるのである。そしてかつてのユダヤ人の王国があったパレスチナに、大勢のユダヤ人が移住を始めたのである。しかし、パレスチナには、イスラム教徒のアラブ人たちが居住していた。ユダヤ人が大勢移住することで、問題が起きるようになった。
-1947年の国連総会において、「アラブ国家」や「アラブ国家」、エルサレム、ベツヘレムを中心とする「国連永久信託統治地区」の3つに分割する案をアメリカ大統領トルーマンの強力な多数派工作のもと、賛成33、反対13、棄権10の賛成多数で可決された。しかし、総人口の3分の1にすぎないユダヤ人に土地の52%を与えるとする決議は、多数派でもあり先住者でもあるパレスチナ人にとっては到底受け入れられるものではなかった。それゆえ、翌年1948年5月、イスラエルの独立宣言がなされるとともに第1次中東戦争が勃発することになった。中東戦争は4回も勃発し、イスラエルは国連が「ユダヤ国家」と定めた土地以外も占領する。「アラブ国家」だったはずの土地まで占領し始めた。このため、古くからこの土地に住んでいたアラブ人たちは土地を追われ、難民として逃げていくことになった。この人たちはアラブ人のイスラム教徒であるが、パレスチナから追われたことで「パレスチナ難民」と呼ばれているうちに、「自分たちはパレスチナ人だ」と自覚を持つようになった。パレスチナ人たちは、自分達の組織をつくってイスラエルに武力攻撃を開始する。すると、イスラエルも軍隊でパレスチナ人を攻撃。たがいに血で血を洗うような悲惨な戦いが続いたのである。+1947年の国連総会において、「アラブ国家」や「アラブ国家」、エルサレム、ベツヘレムを中心とする「国連永久信託統治地区」の3つに分割する案をアメリカ大統領トルーマンの強力な多数派工作のもと、賛成33、反対13、棄権10の賛成多数で可決された。しかし、総人口の3分の1にすぎないユダヤ人に土地の52%を与えるとする決議は、多数派でもあり先住者でもあるパレスチナ人にとっては到底受け入れられるものではなかった。それゆえ、翌年1948年5月、イスラエルの独立宣言がなされるとともに第1次中東戦争が勃発することになった。中東戦争は4回も勃発し、イスラエルは国連が「ユダヤ国家」と定めた土地以外も占領する。「アラブ国家」だったはずの土地まで占領し始めた。このため、古くからこの土地に住んでいたアラブ人たちは土地を追われ、難民として逃げていくことになった。この人たちはアラブ人のイスラム教徒であるが、パレスチナから追われたことで「パレスチナ難民」と呼ばれているうちに、「自分たちはパレスチナ人だ」と自覚を持つようになった。パレスチナ人たちは、自分達の組織をつくってイスラエルに武力攻撃を開始する。すると、イスラエルも軍隊でパレスチナ人を攻撃。たがいに血で血を洗うような悲惨な戦いが続いたのである。これを見かねたアメリカ、ロシア、EU、に国連が入って2003年「和平への道筋」が作られた。イスラエルが占領しているガザ地区とヨルダン川西岸地区からイスラエルが撤退し、ガザ地区とヨルダン川西岸地区は「パレスチナ国家」として独立した。お互いの間の国境を定め、だがいに相手を国家として認め合う、というものであった。しかし、これにはイスラエル、パレスチナ双方の内部に反対意見があるため、なかなか進まなかった。それでも、2005年夏には、イスラエルがガザ地区から完全に撤退し、ガザ地区はパレスチナの土地になった。今後は、ヨルダン川西岸からイスラエルが撤退するかに注目されている。しかし、ヨルダン川西岸に大勢の新たなユダヤ人が住みつくようになって、いつパレスチナ人に引き渡されるか見通しはたっていない。
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 +== 新たな問題 ==
 +またここでは、エルサレムという都市をどうするか、という問題が残っている。ここにはユダヤの王国時代の神殿跡地に残る「嘆きの壁」と、イスラム教の聖地である「岩のドーム」がとなりあっているのである。さらに、キリスト教が十字架にかけられた場所に建てられた「聖墳墓教会」もその近くにある。3つも宗教が集まった場所でもあるのだ。イスラエルもパレスチナも、エルサレムを自分達の国の首都にしたいと考えている。イスラエルは「エルサレムは分割されることのない、イスラエルの首都だ」と主張している。パレスチナ問題は、このように2000年の歴史があり、異なる宗教の対立という側面もある。しかし、結局は「自分達の独立した国家を持ちたい」という人々の願いがあるのである。
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 +== 参考文献 ==
 +池上彰の社会化教室③「こんなに身近な国際問題」
 +「目からウロコの民族・宗教紛争」 島崎 晋

2015年8月3日 (月) 13:13の版

パレスチナ問題

パレスチナとは、地中海の南東岸の地方をさす名前のことである。ここは200年以上前、ユダヤ人の王国があった場所である。しかし、ローマ帝国によって国が滅ぼされ、ユダヤ人世界各地に散らばっていく。ユダヤ人たちは大2次世界大戦中には、ナチスドイツによって600万人ものユダヤ人が迫害された。戦争が終わったあと、ユダヤ人たちは、「自分たちの国を持っていいないからこんな目にあうのだ。自分達の国を持ちたい」と考えるのである。そしてかつてのユダヤ人の王国があったパレスチナに、大勢のユダヤ人が移住を始めたのである。しかし、パレスチナには、イスラム教徒のアラブ人たちが居住していた。ユダヤ人が大勢移住することで、問題が起きるようになった。 1947年の国連総会において、「アラブ国家」や「アラブ国家」、エルサレム、ベツヘレムを中心とする「国連永久信託統治地区」の3つに分割する案をアメリカ大統領トルーマンの強力な多数派工作のもと、賛成33、反対13、棄権10の賛成多数で可決された。しかし、総人口の3分の1にすぎないユダヤ人に土地の52%を与えるとする決議は、多数派でもあり先住者でもあるパレスチナ人にとっては到底受け入れられるものではなかった。それゆえ、翌年1948年5月、イスラエルの独立宣言がなされるとともに第1次中東戦争が勃発することになった。中東戦争は4回も勃発し、イスラエルは国連が「ユダヤ国家」と定めた土地以外も占領する。「アラブ国家」だったはずの土地まで占領し始めた。このため、古くからこの土地に住んでいたアラブ人たちは土地を追われ、難民として逃げていくことになった。この人たちはアラブ人のイスラム教徒であるが、パレスチナから追われたことで「パレスチナ難民」と呼ばれているうちに、「自分たちはパレスチナ人だ」と自覚を持つようになった。パレスチナ人たちは、自分達の組織をつくってイスラエルに武力攻撃を開始する。すると、イスラエルも軍隊でパレスチナ人を攻撃。たがいに血で血を洗うような悲惨な戦いが続いたのである。これを見かねたアメリカ、ロシア、EU、に国連が入って2003年「和平への道筋」が作られた。イスラエルが占領しているガザ地区とヨルダン川西岸地区からイスラエルが撤退し、ガザ地区とヨルダン川西岸地区は「パレスチナ国家」として独立した。お互いの間の国境を定め、だがいに相手を国家として認め合う、というものであった。しかし、これにはイスラエル、パレスチナ双方の内部に反対意見があるため、なかなか進まなかった。それでも、2005年夏には、イスラエルがガザ地区から完全に撤退し、ガザ地区はパレスチナの土地になった。今後は、ヨルダン川西岸からイスラエルが撤退するかに注目されている。しかし、ヨルダン川西岸に大勢の新たなユダヤ人が住みつくようになって、いつパレスチナ人に引き渡されるか見通しはたっていない。


新たな問題

またここでは、エルサレムという都市をどうするか、という問題が残っている。ここにはユダヤの王国時代の神殿跡地に残る「嘆きの壁」と、イスラム教の聖地である「岩のドーム」がとなりあっているのである。さらに、キリスト教が十字架にかけられた場所に建てられた「聖墳墓教会」もその近くにある。3つも宗教が集まった場所でもあるのだ。イスラエルもパレスチナも、エルサレムを自分達の国の首都にしたいと考えている。イスラエルは「エルサレムは分割されることのない、イスラエルの首都だ」と主張している。パレスチナ問題は、このように2000年の歴史があり、異なる宗教の対立という側面もある。しかし、結局は「自分達の独立した国家を持ちたい」という人々の願いがあるのである。


参考文献

池上彰の社会化教室③「こんなに身近な国際問題」 「目からウロコの民族・宗教紛争」 島崎 晋


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