熊本 水俣病

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2015年8月5日 (水) 13:36の版
Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
最新版
Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録)

1 行 1 行
-==''水俣病とは?'''==+=='''水俣病とは?'''==
メチル水銀を吸い込んだ魚や貝などを大量に食べることにより神経系が障がいを受ける中毒障がいである。人間の体内に入るとメチル水銀は、脳などの神経系を麻痺させる。主に、手足の痺れ、震え、脱力、耳鳴り、視界が狭くなる、聴力が低下する、はっきりと喋れなくなるなどといった症状を引き起こす。神経系以外に障がいは生じないといわれている。また、妊娠中の母親がメチル水銀を含んだ魚を食べたために障がいを持った胎児が生まれてしまった。水俣病を治すことができる治療法はなく、一時的に症状を和らげる治療・対症療法・機能訓練などが主として行われている。 メチル水銀を吸い込んだ魚や貝などを大量に食べることにより神経系が障がいを受ける中毒障がいである。人間の体内に入るとメチル水銀は、脳などの神経系を麻痺させる。主に、手足の痺れ、震え、脱力、耳鳴り、視界が狭くなる、聴力が低下する、はっきりと喋れなくなるなどといった症状を引き起こす。神経系以外に障がいは生じないといわれている。また、妊娠中の母親がメチル水銀を含んだ魚を食べたために障がいを持った胎児が生まれてしまった。水俣病を治すことができる治療法はなく、一時的に症状を和らげる治療・対症療法・機能訓練などが主として行われている。

最新版

目次

水俣病とは?

メチル水銀を吸い込んだ魚や貝などを大量に食べることにより神経系が障がいを受ける中毒障がいである。人間の体内に入るとメチル水銀は、脳などの神経系を麻痺させる。主に、手足の痺れ、震え、脱力、耳鳴り、視界が狭くなる、聴力が低下する、はっきりと喋れなくなるなどといった症状を引き起こす。神経系以外に障がいは生じないといわれている。また、妊娠中の母親がメチル水銀を含んだ魚を食べたために障がいを持った胎児が生まれてしまった。水俣病を治すことができる治療法はなく、一時的に症状を和らげる治療・対症療法・機能訓練などが主として行われている。

水俣病の発生

熊本県水俣市にあるチッソ水俣工場は、日本の中で大きな工場として様々な化学製品を作ってきたが、その原料であるアセトアデヒドを作るときに毒性の強い「メチル水銀」が発生しており、工場排水と共にメチル水銀は水俣湾へ流されていた。そして、メチル水銀は魚に取り込まれ、その魚を長い間たくさん食べたことにより水俣が発生した。水俣病の第一患者は、1956年4月21日に熊本県の水俣市で原因不明の激しい脳症状を訴える5歳の女の子であった。その後、その女の子は病院に入院し、同年の5月に病院長が水俣保健所に脳症状をもつ患者が発生したと報告した。この日が後に「水俣病公式確認の日」となり、これが本格的な水俣病の発生となる。


水俣病の発生による被害

1、健康被害 水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、多くの人が健康被害に苦しんだ。水俣病と認められた患者は、平成24年3月31日付で2973人に上っている。しかし、公式確認以前に亡くなった人や確定申請・医療事業への申請ができなかった死亡者もいるので、被害者の正確な数は把握できていない。

2、環境汚染 チッソ水俣工場の排水によって、水俣湾の海底には水銀を含む大量のヘドロが4メートルに達するほど積み重なった。また、水俣湾の魚は、水銀を含んでいるため漁業を行えなくなった。

3、差別・偏見 水俣病の原因がはっきりしていなかった頃、人々は空気などを通じてうつると誤解してしまった。そのため、水俣病になって人には近づかないようにしたり、就職や結婚が断られてしまうことも起きた。これらの差別・偏見により被害者とその家族は、とても苦しめられた


水俣病裁判

1956年5月1日に水俣病が公式に確認されたが、その後もチッソはメチル水銀を水俣湾に排出し続けた。1968年5月、チッソはようやくアセトアルデヒドの製造をやめた。その4か月後の9月26日に国はようやく水俣病がチッソ水俣工場の廃液による公害であることを公式に認めた。1969年6月14日に、水俣病第一次訴訟が行われた。1973年3月、水俣病裁判で患者勝利の判決が下された。 そして、同年7月に患者とチッソの間に補償協定が結ばれた。この協定により、認定患者はチッソから慰謝料として1600~1800万円の一時金が支払われた。また、1995年の政府解決策により、医療事業の対象者と同等と見なされた死亡者は、補償を巡る争いを起こさないことを条件に1996年、チッソと協定を結び、一時金として260万円を受け取った。 2015年7月12日、熊本県は水俣病患者の認定審査を2年4か月ぶりに再開した。熊本県では6月末までに1135人が申請中である。


水俣病の教訓を生かしたまちづくり

1996年1月に水俣市議会で、水俣病の教訓を生かしたまちづくりの指針として「環境・健康・福祉を大切にする文化都市」が掲げられた。今、水俣市は将来の都市像を考えながら、行政と市民が一体となってまちづくりを行っている。主に以下の2つである。

1、ごみの分別収集・リサイクル・減量化 家庭ゴミの減量・資源化を図るために1993年の8月からごみの分別収集を開始した。2005年からは、徹底したゴミの資源化・リサイクルのために22分別を実施している。

2、地区環境協定締結の支援 地域住民が自分たちの生活環境を保全していくため、環境に関する生活ルールを決め、「地区環境協定」の締結を支援している。


参考・引用文献

熊本県 環境生活部 水俣病保健課 はじめて学ぶ水俣病 2013年8月30日 http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_4512.html

環境省 水俣病情報センター http://www.nimd.go.jp/archives/tenji/b_corner/b03.html

水俣市立水俣病資料館 http://www.minamata195651.jp/list.html

朝日新聞 2015年7月12日 水俣病の認定審査、2年4か月ぶり再開 熊本県 http://www.asahi.com/articles/ASH7D4W3TH7DTLVB00X.html

産経WEST 2015年4月30日 水俣病訴訟 熊本地裁に新たに259人が提訴、原告1000人超に http://www.sankei.com/west/news/150430/wst1504300060-n1.html 

                                                                   

                                                                        S.K


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成