持続可能な開発
出典: Jinkawiki
(版間での差分)
2018年1月26日 (金) 08:40の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
2018年1月26日 (金) 08:40の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) 次の差分へ → |
||
14 行 | 14 行 | ||
2002年 「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(「ヨハネスブルグ・サミット」) | 2002年 「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(「ヨハネスブルグ・サミット」) | ||
- | 2012年 国連持続可能な開発会議(「リオ+20」) | + | 2012年 国連持続可能な開発会議(「リオ+20」) |
== 参考 == | == 参考 == | ||
環境省 http://www.env.go.jp/ | 環境省 http://www.env.go.jp/ | ||
+ | |||
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html |
2018年1月26日 (金) 08:40の版
目次 |
概要
「環境と開発に関する世界委員会」(委員長:ブルントラント・ノルウェー首相(当時))が1987年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で,「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言う。この概念は,環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ,環境保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つものである。
背景
日本では戦後の高度経済成長期に公害問題が顕著化し、住民に大きな被害が発生した。特に、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病及び四日市ぜんそくの「四大公害病」は、社会問題として大きく取り上げられた。一方で、欧米等の国々も酸性雨や農薬等の化学物質を始めとする環境問題に悩まされており、米国の生物学者であるレイチェル・カーソンが1962年に出版した「沈黙の春」は、殺虫剤等に含まれていたDDT等の化学物質の危険性を訴え、世界の環境保護活動の端緒となった。このように、公害のような環境問題は人類の永続的な繁栄を脅かすものとして考えられるようになった。
国際的な会議
1992年 「国連環境開発会議」(「地球サミット」)
1997年 「国連環境開発特別総会」
2002年 「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(「ヨハネスブルグ・サミット」)
2012年 国連持続可能な開発会議(「リオ+20」)
参考
外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html