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2016年7月30日 (土) 18:59の版 Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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- | == イラク戦争14 == | + | == アダムスミス == |
- | == イラク戦争 == | + | アダム・スミスは、18世紀後半のイギリスの哲学者、思想家である。産業革命が進行する中、著書「国富論」において自由主義経済論を打ち立てた。その打ち立てた「国富論」は経済学を初めて科学的に体系づけた大著で、重商主義を批判して自由放任主義の経済を説いた。 |
- | 1991年の湾岸戦争後にイラクが受諾した停戦決議において、イラクは大量破壊兵器の不保持が義務づけられた。国連はイラクの兵器の保有状況や製造設備などを調べるため'''「UNSCOM」'''(国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会)を設置し、イラクの兵器の保有状況や製造設備などを調べるために設置したものでイラク側も'''「UNSCOM」'''の設置を了承したが、主にアメリカ出身者から'''「UNSCOM」'''の度重なる調査に反発し、互いに領空侵犯を行うなど緊張が高まった。 | + | == 自由放任主義 == |
- | かねてからイラクの非協力姿勢を問題視していた2001年就任の米ブッシュ大統領は9,11テロをきっかけにイラクへの反感をさらに強め、攻撃に関する決議採択を行いアメリカ、イギリス、オーストラリアの有志連合により攻撃が行われた。 | + | |
+ | 自由に個人の利益を追求させ、競争させることが社会全体の利益の増進に立つという主張した。 アダムスミスは「国富論」において、フェアプレイの原則に基づく自由競争こそ見えざる手による社会の繁栄をもたらすとし、一切の保護制度を廃止すべきであると主張した。アダムスミスのこのような主張は独占的商業資本と重工の結びついてとった貿易の独占とそれによる金銀の蓄積を主目的とした重商工業に対抗するものであった。しかし、同時に国際的な自由貿易を求める運動にも結びついていた。 | ||
- | == イラク戦争の問題 == | + | == 見えざる手 == |
- | 開戦理由として、・イラクがテロ組織を支援している。・イラクが大量破壊兵器(核兵器)を開発している理由から武力制裁とされたが、イラクがテロ組織に関与していた証拠や大量破棄兵器を作っていた事実は確認できなったのだ。2003年に終戦宣言は出されたが、実質的にはイラク戦争は現在も続けられており、アメリカ兵の死者は終戦宣言後のほうが圧倒的に多いなどの矛盾もある。 | + | アダムスミスは富は労働の生産物であるから,生産的労働を使用する農工業部門に資本を投下し、分業化、機械化を進めて労働生産力を高めれば国富は増大すると主張した。一方、近代的個人の利己心の経済活動の動機として認め、個々の資本家がそれぞれ最大の利潤を追求して最大の労働を維持すれば、社会の全生産物の価値は最大となり、これに相応する社会の年収、すなわち利潤や資金も最大になる。したがって個々人は私の利益だけを追求して自由競争していくうちに、見えざる手に導かれて、みずから予期しなかった目的を、繁栄と調和を達成することになると考え、国家干渉の排除となることとした。 |
+ | == 小さな政府 == | ||
+ | 財政規模のあまり大きくない政府のことをいう。ナポレオン戦争後のイギリスでは、軍事費の削減はもとより、航海法、独占特許制度の撤廃などの自由主義施策の推進と並んで一般経費の縮減が進められた。このため 1870年頃まで国家財政の規模は年々減少した。また、漸増するにとどまり史上ほとんど唯一の「小さな政府」が出現した。その思想的背景にあるものは、国の役割を国防、警察などに限る アダムスミスの夜警国家論である。しかし、帝国主義の風潮に負うことが大きいのが、前世紀末以降イギリスをも含めて経費膨張が避けがたい傾向になった。 | ||
+ | == 夜警国家 == | ||
- | + | 国家は外敵の侵入を防ぎ、国内の治安を確保し、個人の私有財産を守るという必要最小限の任務を行い、その他は自由放任にせよと主張する自由主義国家観をいう。この言葉は、社会主義者ラサール「労働者綱領」のなかのイギリスのブルジョアジーの国家観を批判した言葉である。 | |
- | 参考文献 | + | |
- | 国際社会論 教科書 http://wakei-education.sakura.ne.jp/textbook2014/kokusya2014.pdf | + | |
- | 人間科学大辞典 イラク戦争8 http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%EF%BC%98 | + | |
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- | == ノーマライゼーション == | + | |
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- | == ノーマライゼーション == | + | |
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- | ノーマライゼーション(normalization)とは、障害者と健常者が分け隔てなく普通に共存できる社会こそがノーマルな状態であるという理念のもと、そうした正常な社会を積極的に創造していこうとする活動や施策、その推進のための運動を意味する。福祉におけるノーマライゼーションの歴史は、デンマークで起こった知的障害児施設の待遇改善運動がその起源とされ、それ以降、世界のあらゆるところでその理念・運動が広がっている。人間をあるがままの存在として受け止め、地域で共に豊かな社会生活を送ることを可能にするための条件設備や偏見の排除を行うことが課題である。 | + | |
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- | == ノーマライゼーションの2側面 == | + | |
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- | ノーマライゼーションびは定藤丈弘が提唱した2つの側面がある。 | + | |
- | ①同化的側面:障害者の生活を一般の市民生活に近付けて(→社会適応)いくことを目標とする側面。 | + | |
- | ②異化的側面:障害者に生じている不平等に対して、行政が積極的に介入し、特別なサービスの提供によって、障害者を含んだすべての国民の実質的な平等の保障を目標とする側面。 | + | |
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- | == 参考文献 == | + | |
- | 櫻井慶一著(2012)初めての社会福祉 学文社 | + | |
- | メアリー・E・リッチモンド著 星野晴彦 山中裕剛 陳麗婷 訳(2014)善意からソーシャルワーク専門職へ ソーシャルワークの源流 筒井書房 | + | |
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- | 難民 | + | |
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- | 難民とは、対外戦争、民族紛争、人種差別、宗教迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由により、自国(住んでる国)を離れる、または強制的に追い出される人々のことを指す。多くの人々は、自身の命を守るために、陸路、海路、河路、空路のいずれかで国外に脱し、他国のあらゆる面での援助を求める。現在の国際法では、戦争や政治による、弾圧や迫害を受けて難民化した者に対する救済・支援が国際社会に義務付けられている。 | + | |
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- | 難民条約について | + | |
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- | 1951年7月28日、スイスのジュネーブで行われた難民及び無国籍者に関する国際連合全権会議において、難民の地位に関する条約(難民条約)が採択された。条約の中には、難民の定義、難民保護のための行政措置、ノン・ルフールマン原則(生命や自由が脅かされかねない人々(特に難民)が、入国を拒まれあるいはそれらの場所に追放したり、送還されたりすることを禁止する国際法上の原則)や、難民条約」の制定による1950年12月に難民支援活動の監督団体として国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立されている。これらは、難民に保護を保障し、生命の安全を確保するためのものである。 | + | |
- | 難民の数・多くの難民が多い国 | + | |
- | 難民の出身の多い国 | + | |
- | 順位 国名 人数 | + | |
- | 1 アフガニスタン 2,556,556 | + | |
- | 2 シリア 2,468,369 | + | |
- | 3 ソマリア 1,121,738 | + | |
- | 4 スーダン 649,331 | + | |
- | 5 コンゴ民主共和国 499,541 | + | |
- | 6 ミャンマー 479,608 | + | |
- | 7 イラク 401,417 | + | |
- | 8 コロンビア 396,635 | + | |
- | 9 ベトナム 314,105 | + | |
- | 10 エリトリア 308,022 | + | |
- | (外務省HP 2013年のグローバルトレンド別表より) | + | |
- | 上の図のように、現在難民は、未だに内戦等の問題を抱えている、アフリカから中東にかけて、多い傾向がある。この、上位10カ国だけでも、約916万人もの難民がいる。さらにその後、世界中には、約5100万人もの人々が、難民となっている。 | + | |
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- | 難民問題の歴史 | + | |
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- | 難民問題が国際社会の問題として取りあげられるようになったのは,第一次世界大戦後,ロシア革命やトルコ帝国崩壊によって大量の難民が発生して以降である。第二次世界大戦後には,より大量かつ広範な地域で難民が発生し,国際社会は,設立間もない国連を中心に難民問題に、取り組まれた。その後、1950年には,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、1951年,より深刻化した難民問題に国際協力によって対処するために,「難民の地位に関する条約」が作成され、1967年条約を補足する「難民の地位に関する議定書」が採択され、現在の難民条約となる。 | + | |
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- | 日本の難民問題への取り組み・難民問題に対する日本の立ち位置 | + | |
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- | 日本国内に住む難民の人数は限られている。ところが、難民認定を求める外国人の数は昨年(2014年)、初めて5000人となった。これまでの最高だった2013年の3260人から、約5割も膨れあがっている。10年前の05年は、わずか384人にすぎない。世界の「難民候補者」にとって、日本の人気は急上昇しているのだ。(日本経済新聞 論説委員 太田泰彦2015.3.15より)このことからもわかるように、現在日本では、難民認定を求める外国人が急激に増えてきている。しかし、そこに対する、難民認定がごくわずかな人数であるのも現状である。 | + | |
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- | 日本は難民の受け入れる体制が世界最低レベルと批評されがちだが、 | + | |
- | 日本は,難民などに対する人道支援を国際貢献の重要な柱の1つと位置付け,「人間の安全保障」を重視した外交を推進し、中でも、UNHCRに対しては世界で第2位の拠出国(経済的協力)である。このことから、日本は難民問題に対しての取り組みは後ろ向きであるということでもないようである。 | + | |
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- | 《参考文献》 | + | |
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- | 難民 wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B0%91 | + | |
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- | 国連難民高等弁務官事務所 HP http://www.unhcr.or.jp/html/protect/treaty/ | + | |
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- | 外務省 HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/ranking/refugee.html | + | |
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- | 日本経済新聞 HP http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/ | + |
最新版
目次 |
アダムスミス
アダム・スミスは、18世紀後半のイギリスの哲学者、思想家である。産業革命が進行する中、著書「国富論」において自由主義経済論を打ち立てた。その打ち立てた「国富論」は経済学を初めて科学的に体系づけた大著で、重商主義を批判して自由放任主義の経済を説いた。
自由放任主義
自由に個人の利益を追求させ、競争させることが社会全体の利益の増進に立つという主張した。 アダムスミスは「国富論」において、フェアプレイの原則に基づく自由競争こそ見えざる手による社会の繁栄をもたらすとし、一切の保護制度を廃止すべきであると主張した。アダムスミスのこのような主張は独占的商業資本と重工の結びついてとった貿易の独占とそれによる金銀の蓄積を主目的とした重商工業に対抗するものであった。しかし、同時に国際的な自由貿易を求める運動にも結びついていた。
見えざる手
アダムスミスは富は労働の生産物であるから,生産的労働を使用する農工業部門に資本を投下し、分業化、機械化を進めて労働生産力を高めれば国富は増大すると主張した。一方、近代的個人の利己心の経済活動の動機として認め、個々の資本家がそれぞれ最大の利潤を追求して最大の労働を維持すれば、社会の全生産物の価値は最大となり、これに相応する社会の年収、すなわち利潤や資金も最大になる。したがって個々人は私の利益だけを追求して自由競争していくうちに、見えざる手に導かれて、みずから予期しなかった目的を、繁栄と調和を達成することになると考え、国家干渉の排除となることとした。
小さな政府
財政規模のあまり大きくない政府のことをいう。ナポレオン戦争後のイギリスでは、軍事費の削減はもとより、航海法、独占特許制度の撤廃などの自由主義施策の推進と並んで一般経費の縮減が進められた。このため 1870年頃まで国家財政の規模は年々減少した。また、漸増するにとどまり史上ほとんど唯一の「小さな政府」が出現した。その思想的背景にあるものは、国の役割を国防、警察などに限る アダムスミスの夜警国家論である。しかし、帝国主義の風潮に負うことが大きいのが、前世紀末以降イギリスをも含めて経費膨張が避けがたい傾向になった。
夜警国家
国家は外敵の侵入を防ぎ、国内の治安を確保し、個人の私有財産を守るという必要最小限の任務を行い、その他は自由放任にせよと主張する自由主義国家観をいう。この言葉は、社会主義者ラサール「労働者綱領」のなかのイギリスのブルジョアジーの国家観を批判した言葉である。