プラ-エスペラント
出典: Jinkawiki
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2012年8月3日 (金) 12:19の版
プラ-エスペラント(Pra-Esperanto)はルドヴィコ・ザメンホフが創った人工言語である。発表当時はリングヴェ・ウニヴェルサーラ(Lingwe uniwersala 普遍語)と呼ばれていた。これを発展させたものがエスペラントである。 ザメンホフは少年時代に国際補助語を創ることを思いつき、1878年12月17日(ユリウス暦では12月5日)にほとんど完成し、ザメンホフはギムナジウムの同級生たちとともにその言語の誕生と自分の誕生日(ザメンホフの誕生日は12月15日)を祝い、Lingwe uniwersala(普遍語)と名づけた。
大学に入り医学の勉強を始めた時、父マルコ・ザメンホフは医学の勉強が終わるまで言語の研究をさせない為という理由で、原稿をルドヴィコから取り上げた。 父は息子の研究が無意味だと思ったのか、あるいはロシア政府の検閲を恐れたのか、原稿を燃やしてしまった。ルドヴィコがそのことを知ったのは大学に入ってから2年後のことだった。仕方なく、彼は一から新しい言語を創ることにした。 (この原稿が燃やされるエピソードはザメンホフの伝記に必ずと言っていいほど書かれているが、単なる伝説とも言われている。)
Pra…「時間的に遠い、原始、以前」などの意味を付ける接頭辞。
●1887年、ザメンホフは現在使われているエスペラントについての最初の本、Unua Libroを出版した。
●ガストン・ヴァレンギェンは、1881年、1882年、1885年のザメンホフの原稿を調べて言語がどのように創られたのか調べ、それを自分の本Lingvo kaj vivo(言語と人生)の中で発表した。
●Rikardo Cashは、プラ-エスペラントの文法を「復活」させ、雑誌La Kancerkliniko(癌診療所)に載せた。
また、エスペラントの古風な文を書く文字として、プラ-エスペラントの他にマヌエル・ハルヴェリク(Manuel Halvelik, 本名: Kamiel Vanhulle, 1925年4月14日 - )が人工言語であるエスペラントをもとに、あたかも「エスペラントの古語」に見えるように創ったアルカイカム・エスペラントム(Arcaicam Esperantom)という文字も存在する。しかしこれはあくまでもエスペラント語の派生言語にすぎない。
アルファベット
現在のエスペラントになる過程で母音はa,e,i,o,uだけとなり、ポーランド語由来の文字が独自のサーカムフレックス付き文字になった。
プラ-エスペラント: a á b c ć d dź e é f g h ħ i j k l m n o ó p r s ś t u ŭ v z ź
エスペラント: a b c ĉ d e f g ĝ h ĥ i j ĵ k l m n o p r s ŝ t u ŭ v z
参考文献:
プラ-エスペラント - Wikipedia[1]
エスペラントのアルファベット[2]
ハンドルネーム:はりー