アパルトヘイト2
出典: Jinkawiki
2015年7月25日 (土) 12:40の版 Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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アパルトヘイト
概要
南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策のことである。約2割の白人支配層が非白、人を差別し、居住地地区を定め、異人種間の結婚を禁じた。参政権も認めなかった。1960年代から反対闘争が激化した。1991年にアパルトヘイト関連法が廃止された。初の全人種参加となった1994年総選挙で故マンデラ氏が初の黒人大統領に就任した。マンデラ大統領が国連総会で演説した時、49年にも及ぶ国連の歴史の中で、多数を占めるアフリカ人から選ばれた南アフリカの国家元首が国連総会で演説するのは初めてのことである、と指摘した。アパルトヘイトが征服されたことを歓迎し、マンデラ大統領は、「その歴史的変化が訪れたのは、人道に対するアパルトヘイト罪の排除に関わってきた国連の多大な努力によるものだった。」と述べた。
南アフリカ
南アフリカは、アフリカ大陸南端に位置、プレトリアが首都である。人口は約5070万人で黒人79%、白人9%などとなっている。17世紀からオランダ、英国の植民地支配を受けた。独立後も白人による支配が、多数を占める非白人を極度に差別するアパルトヘイト政策を進めた。
人種差別反対世界会議
1965年の国連総会で採択された「人種差別撤廃条約」の理念を実現するために、1978年、1983年に開かれ、南アフリカのアパルトヘイト政策を糾弾した。2001年には、アパルトヘイトと決別した南アフリカのダーバンで開催された。奴隷制を人道に対する罪とし、植民地支配が人種差別につながると認めるなどとした宣言と行動計画が採択され、人種主義や人種差別、外国人排斥の根絶に向けて各国が努力するよう認めた。だが、そのあとも差別的な言動が多くの国で見られるばかりか、インターネットを通じて拡散しているなどの理由から、2006年の国連総会で再検討会議の開催が決まっていた。
南アフリカも現在
アパルトヘイトが撤廃され、全人種が参加する初の選挙が実現してから20年が経つ。2015年、5月7日にはマンデラ元大統領の死後初めてとなる総選挙となった。しかし、解放闘争を主導し、20年に渡って政権の座にあったアフリカ民族会議がかつてない逆風にさらされている。中高年層の支持がある一方、腐敗や汚職の蔓延によりアパルトヘイトを知らない若い世代を中心にアフリカ民族会議離れが進んでいる。
参考資料