GHQ2
出典: Jinkawiki
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2015年7月29日 (水) 02:30の版
概要
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。 しかし、無条件降伏と言っても天皇の命令によって武装解除を行っただけであり、講和条約が締結されたわけではなく終戦ではなく停戦である。 日本が正式に講和条約を締結して終戦を迎えるのは1952年4月にサンフランシスコ講和条約が締結された時のことである。 このポツダム宣言の執行のために日本で占領政策を実施した機関がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)である。連合国軍の機関であったが多くの職員はアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人で構成されていた。 連合国軍最高司令官には連合国軍の一国であるアメリカ合衆国の太平洋陸軍総司令官、ダグラス・マッカーサーが就任した。
目的
GHQの目標は、日本の軍事力を解体し、非武装化し、中華民国をアジアの中心として軍国主義を撤廃して親米的な国家に作り替えることであった。 日本の占領方式は、GHQの指示、命令を受けて日本の政府が占領政策を実施する形であった。この指示、命令の多くはポツダム宣言に沿った内容であつた。 GHQはまず軍隊を解体し、自由を制限していた法令を廃止し、政治の民主化、政教分離のために大日本帝国憲法の改正を指示し、自由化の為に財閥解体、農地解放などを指示した。 この対日占領は約7年間近く続いた。 マッカーサーはこの対日占領について以下の三段階論を述べた。
・軍事段階
・政治的段階
・経済的段階 これをもとにGHQは対日占領を進めていった。 GHQが行った民主化政策はまさに「民主化の嵐」と呼ぶにふさわしいものであった。そしてその中でもマッカーサーが最も重視したのが日本国憲法の制定であった。 憲法制定に際して、GHQは日本政府に「マッカーサー草案」を提示した。これは憲法制定の為に日本政府がGHQに提出した「松本試案」に対する回答という形で出されたものであった。そしてこの草案をもとに民主主義の象徴である日本国憲法が制定、施行された。
参考文献 ・『戦後史』 仲村政則 2005年 岩波書店