バロック時代
出典: Jinkawiki
2015年7月31日 (金) 02:16の版 Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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「バロック」という言葉は「いびつな真珠」を意味するポルトガル語「barocco」に由来するフランス語だといわれている。この言葉は、最初、ルネサンス時代の均整の取れた美しさに対して、いびつで異常で墜落した趣味のものにみえるというような軽蔑をこめたネガティブな意味で使われたようだ。しかし、19世紀に、まず美術様式の概念として「バロック」という言葉を用いようとする試みがドイツ美術史家によって始められ、この言葉の軽蔑的なニュアンスをおさえてこの時代の独自な美意識の価値を認める言葉として用いられるようになり、20世紀になって音楽史の分野にも導入されることになった。 | 「バロック」という言葉は「いびつな真珠」を意味するポルトガル語「barocco」に由来するフランス語だといわれている。この言葉は、最初、ルネサンス時代の均整の取れた美しさに対して、いびつで異常で墜落した趣味のものにみえるというような軽蔑をこめたネガティブな意味で使われたようだ。しかし、19世紀に、まず美術様式の概念として「バロック」という言葉を用いようとする試みがドイツ美術史家によって始められ、この言葉の軽蔑的なニュアンスをおさえてこの時代の独自な美意識の価値を認める言葉として用いられるようになり、20世紀になって音楽史の分野にも導入されることになった。 | ||
- | ==フランスのバロック時代== | + | =ルイ14世= |
- | フランスは、17世紀前半にはイタリアの影響を強く受けていたが、1630年以降独自の発展をみせる。 | + | |
+ | ルイ14世は、ブルボン朝第3代のフランス国王である。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。 | ||
+ | 1643年、父親のルイ13世が41歳で死去すると、わずか4歳でフランス国王に即位した。そして母親アンヌが摂政となりさまざまな政治を推進した。対外戦争を積極的に行い、1667年の帰属戦争、1672年のオランダ侵略戦争で領土を拡張して権威を高め、王権神授説・ガリカニスム(フランスでのローマ教皇の権威を制限しようとする考え)を掲げ、絶対君主制を確立した。 | ||
- | 強力な権力を誇ったルイ14世は、バレエが得意で、壮麗なバレエを宮廷で上演し、自ら主演してその権力を誇示したといわれている。また、有能な人材を集めて世界初の「王立舞踊アカデミー」を創設して、専門職としての舞踊家を育成した。王のもとで音楽総監督となったイタリア出身の作曲家リュリは、古典劇とバレエを融合させて「悲劇オペラ」という独特の宮廷オペラを完成させた。 | + | その強力な権力を誇ったルイ14世は、バレエが得意で、壮麗なバレエを宮廷で上演し、自ら主演してその権力を誇示したといわれている。また、有能な人材を集めて世界初の「王立舞踊アカデミー」を創設して、専門職としての舞踊家を育成した。 |
- | また、17~18世紀にかけてクラブサン(チェンバロ)音楽も独特の発展をみせた。クープランやラモーが繊細な装飾音に彩られた自由な組曲形式の作品を数多く残した。 | + | =絶対君主制= |
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+ | ルイ14世が強大な権力を誇ったこの世はまさに絶対主義王政(絶対君主制)のじだいだった。権力や富は、王や皇帝、位の高い聖職者、有力な貴族たちに集中し、絢爛豪華な装飾をもつ宮殿や礼拝堂、歌劇場などに鳴り響く音楽は、婚礼、舞踏会、葬儀などのさまざまな儀式や行事で彼らの威光を示す効果を演出する役割を担った。音楽家もまた彼らの庇護を求めることとなり、この時代の音楽家にとって、宮廷楽団に就職してその楽長になることが最高の出世コースであった。 | ||
==バッハとヘンデル== | ==バッハとヘンデル== |
最新版
オペラ、ソナタ、協奏曲が生まれ、音楽家にとって特定の教会や宮廷の専属音楽家となることこそ最大の出世だった時代
目次 |
主な作曲家
ヴィヴァルディ(1678~1741)
ヘンデル(1685~1759)
J.S.バッハ(1685~1750)
いびつな真珠
「バロック」という言葉は「いびつな真珠」を意味するポルトガル語「barocco」に由来するフランス語だといわれている。この言葉は、最初、ルネサンス時代の均整の取れた美しさに対して、いびつで異常で墜落した趣味のものにみえるというような軽蔑をこめたネガティブな意味で使われたようだ。しかし、19世紀に、まず美術様式の概念として「バロック」という言葉を用いようとする試みがドイツ美術史家によって始められ、この言葉の軽蔑的なニュアンスをおさえてこの時代の独自な美意識の価値を認める言葉として用いられるようになり、20世紀になって音楽史の分野にも導入されることになった。
ルイ14世
ルイ14世は、ブルボン朝第3代のフランス国王である。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。 1643年、父親のルイ13世が41歳で死去すると、わずか4歳でフランス国王に即位した。そして母親アンヌが摂政となりさまざまな政治を推進した。対外戦争を積極的に行い、1667年の帰属戦争、1672年のオランダ侵略戦争で領土を拡張して権威を高め、王権神授説・ガリカニスム(フランスでのローマ教皇の権威を制限しようとする考え)を掲げ、絶対君主制を確立した。
その強力な権力を誇ったルイ14世は、バレエが得意で、壮麗なバレエを宮廷で上演し、自ら主演してその権力を誇示したといわれている。また、有能な人材を集めて世界初の「王立舞踊アカデミー」を創設して、専門職としての舞踊家を育成した。
絶対君主制
ルイ14世が強大な権力を誇ったこの世はまさに絶対主義王政(絶対君主制)のじだいだった。権力や富は、王や皇帝、位の高い聖職者、有力な貴族たちに集中し、絢爛豪華な装飾をもつ宮殿や礼拝堂、歌劇場などに鳴り響く音楽は、婚礼、舞踏会、葬儀などのさまざまな儀式や行事で彼らの威光を示す効果を演出する役割を担った。音楽家もまた彼らの庇護を求めることとなり、この時代の音楽家にとって、宮廷楽団に就職してその楽長になることが最高の出世コースであった。
バッハとヘンデル
バッハとヘンデルは同年の1685年の生まれである。この年にはドメニコ・スカルラッティも生まれているが、没年の方は、バッハが1750年、スカルラッティが1757年、ヘンデルが1759年となる。この1759年には、ハイドンはモルツィン伯の宮廷楽長の職につき、その2年後にエステルハージ家の副楽長に就任している。つまり、バッハやヘンデルが世を去った時期には、すでに古典主義音楽が始動し始めていたといえるのだ。1750年をバロックの終期とする時代区分も、そういう意味では、納得のできるものといえるだろう。
参考文献
大人の音楽史入門 長沼由美 二藤宏美 著 YAMAHA
YAMAHA 音楽史について学ぶ バロック時代 http://jp.yamaha.com/services/teachers/music_pal/study/history/baroque/p6/