ニーチェ3
出典: Jinkawiki
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ニーチェは子供の頃から天才だった。名門のプフォルタ学院からボン大学に進学し、古典文献学の権威フリードリヒ・リッチュルに師事した。彼の推薦により、ニーチェは24歳の若さでスイスのバーセル大学の古典文献学員外教授(翌年は正教授)になった。大学時代にショーペンハウエル「意志と表象としての世界」を読んで夢中になった。また、師匠のリッチュルの紹介でワーグナーと出会う。ニーチェの初期の作品でもある「悲劇の誕生」にはこの二人からの影響が色濃く見える。当時のニーチェはまだ大学生であった。博士号も教員資格も持っていない。こんな抜擢はふつうにありえない。つまり、天才の中の天才であった。その後、体調を崩したこともあり、ニーチェは大学の教員を辞める。辞めてからはスイスやイタリアを周遊しながら、執筆活動を進めていく。1889年に発狂。1900年8月に肺炎で亡くなる。ちなみに、脳梅毒で狂ったというのはうそである。梅毒が原因で精神錯乱を起こした場合、当時であれば、3年以内に死んでいた。ニーチェは発狂した後も、11年間生きている。
参考資料:新編 はじめてのニーチェ 適菜 収(著)