ソクラテス法

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== 概要 == == 概要 ==
-別名「産婆法」ともいわれる教育方法の一種。第1段階として知の無知を全く自覚しない「知の無知者」を相手にソクラテス(知の無知者)はまず問うことから始め、相手の「答え」を引き出しながら、さらに、次々に「問い」を投げかけ、相手が「答え」に行き詰まり、自らの無知を自覚する状態(=アポリア)まで導いていく。第二段階では、アポリアにまで導かれた状態において、相手は真理に対する激しい欲求の念にかられ、再びソクラテスの「問い」に対して今度は次第に「自分で自分の知識を取り出しながら」真理を探究し、真理を生み出し、最終的には真理へと到達するのである。その際に、ソクラテスの「問い」に導かれながら、あたかも自分が知っていたものを思いだすように真理に近づいている。このようなソクラテスの「論破」から「助産」へという、ソクラテスの教育的働きかけを「産婆術」または「助産術(マイエウティケー)」といい、総じてソクラテス法と呼ばれている。+別名「産婆法」ともいわれる教育方法であり、問答法の一種。第1段階として知の無知を全く自覚しない「知の無知者」を相手にソクラテス(知の無知者)はまず問うことから始め、相手の「答え」を引き出しながら、さらに、次々に「問い」を投げかけ、相手が「答え」に行き詰まり、自らの無知を自覚する状態(=アポリア)まで導いていく。第二段階では、アポリアにまで導かれた状態において、相手は真理に対する激しい欲求の念にかられ、再びソクラテスの「問い」に対して今度は次第に「自分で自分の知識を取り出しながら」真理を探究し、真理を生み出し、最終的には真理へと到達するのである。その際に、ソクラテスの「問い」に導かれながら、あたかも自分が知っていたものを思いだすように真理に近づいている。このようなソクラテスの「論破」から「助産」へという、ソクラテスの教育的働きかけを「産婆術」または「助産術(マイエウティケー)」といい、総じてソクラテス法と呼ばれている。
== 背景 == == 背景 ==
ソクラテス法の背景にはこのソクラテスの存在した時代にソフィストと呼ばれた弁論術などの指導を職とする一群の人々が存在したことが大きく関係する。彼らの「対話」というのはその実質において対話者の一方が他方を説き伏せる説得の術であった。しかし、ソクラテスの「対話」は両者のロゴス(真理)の交換を通して更なる真理を生み出していくというもであった。そのため、ソクラテスは当時のソフィストらの「知識」を「所有」し、「教え」ようとする人々の「知識」、あるいは、その「教え」の行為に対し、激しく警告を発した。さらに、そのような既成の誤った知識に満足している状態になっている人々を「知の無知者」と定義したのである。 ソクラテス法の背景にはこのソクラテスの存在した時代にソフィストと呼ばれた弁論術などの指導を職とする一群の人々が存在したことが大きく関係する。彼らの「対話」というのはその実質において対話者の一方が他方を説き伏せる説得の術であった。しかし、ソクラテスの「対話」は両者のロゴス(真理)の交換を通して更なる真理を生み出していくというもであった。そのため、ソクラテスは当時のソフィストらの「知識」を「所有」し、「教え」ようとする人々の「知識」、あるいは、その「教え」の行為に対し、激しく警告を発した。さらに、そのような既成の誤った知識に満足している状態になっている人々を「知の無知者」と定義したのである。
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== 関連事項 == == 関連事項 ==
中世の「問答示教法」は、確かに教師の「問」と生徒の「答」の交換という形態はとっているものの、その実質においてはすでにある宗教的教義の一方的な「教え込みの術」であったためソクラテスのいう共同作業とは程遠いものであった。 中世の「問答示教法」は、確かに教師の「問」と生徒の「答」の交換という形態はとっているものの、その実質においてはすでにある宗教的教義の一方的な「教え込みの術」であったためソクラテスのいう共同作業とは程遠いものであった。
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 +== 誘導尋問との相違 ==
 +この方法を実践するにあたって、よくなりがちなのが「誘導尋問」である。
 +・ソクラテス法 自由な回答を求め、回答者の意志を優先し、回答者自身がその問いの回答に気づく。
 +・誘導尋問   質問者によってあらかじめ決められている回答が得られるように、質問を投げかける。
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 +このようにソクラテス法はあくまでも、回答者自身の回答であるため、実際に使用する場合には注意が必要である。
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参考文献『ソクラテス(上、下)』 著者 村井実   出版社 講談社学術文庫 参考文献『ソクラテス(上、下)』 著者 村井実   出版社 講談社学術文庫
    『教育の方法と技術』 著者 柴田義松・山﨑準二  出版社 学文社      『教育の方法と技術』 著者 柴田義松・山﨑準二  出版社 学文社 

2015年8月1日 (土) 16:50の版

目次

概要

別名「産婆法」ともいわれる教育方法であり、問答法の一種。第1段階として知の無知を全く自覚しない「知の無知者」を相手にソクラテス(知の無知者)はまず問うことから始め、相手の「答え」を引き出しながら、さらに、次々に「問い」を投げかけ、相手が「答え」に行き詰まり、自らの無知を自覚する状態(=アポリア)まで導いていく。第二段階では、アポリアにまで導かれた状態において、相手は真理に対する激しい欲求の念にかられ、再びソクラテスの「問い」に対して今度は次第に「自分で自分の知識を取り出しながら」真理を探究し、真理を生み出し、最終的には真理へと到達するのである。その際に、ソクラテスの「問い」に導かれながら、あたかも自分が知っていたものを思いだすように真理に近づいている。このようなソクラテスの「論破」から「助産」へという、ソクラテスの教育的働きかけを「産婆術」または「助産術(マイエウティケー)」といい、総じてソクラテス法と呼ばれている。


背景

ソクラテス法の背景にはこのソクラテスの存在した時代にソフィストと呼ばれた弁論術などの指導を職とする一群の人々が存在したことが大きく関係する。彼らの「対話」というのはその実質において対話者の一方が他方を説き伏せる説得の術であった。しかし、ソクラテスの「対話」は両者のロゴス(真理)の交換を通して更なる真理を生み出していくというもであった。そのため、ソクラテスは当時のソフィストらの「知識」を「所有」し、「教え」ようとする人々の「知識」、あるいは、その「教え」の行為に対し、激しく警告を発した。さらに、そのような既成の誤った知識に満足している状態になっている人々を「知の無知者」と定義したのである。

関連事項

中世の「問答示教法」は、確かに教師の「問」と生徒の「答」の交換という形態はとっているものの、その実質においてはすでにある宗教的教義の一方的な「教え込みの術」であったためソクラテスのいう共同作業とは程遠いものであった。


誘導尋問との相違

この方法を実践するにあたって、よくなりがちなのが「誘導尋問」である。 ・ソクラテス法 自由な回答を求め、回答者の意志を優先し、回答者自身がその問いの回答に気づく。 ・誘導尋問   質問者によってあらかじめ決められている回答が得られるように、質問を投げかける。

このようにソクラテス法はあくまでも、回答者自身の回答であるため、実際に使用する場合には注意が必要である。


参考文献『ソクラテス(上、下)』 著者 村井実   出版社 講談社学術文庫     『教育の方法と技術』 著者 柴田義松・山﨑準二  出版社 学文社 


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