軍艦島

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2015年7月31日 (金) 13:43の版
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島について

観が軍艦に似ていることからこう呼ばれるが、正式名称は端島である。かつて海底炭田の採掘地として栄えたが、現在は無人の「廃虚の島」。炭鉱施設の多くは解体されており、朽ちたコンクリートの高層住宅群だけが往時のおもかげを伝える。この島で初めて石炭が発見されたのは、19世紀初頭である。1890年に三菱が旧肥前藩の領主鍋島氏から採掘権を買い取り、本格的な採炭を開始した。1916年には、日本初の鉄筋アパート(7階建て)が建設された。その後、7~9階建ての高層住宅が次々に建てられ、最盛期には東京ドームの1.3倍ほどの面積に約5千200人が暮らしていたという。大陸出身の労働者も多く、戦時中の43年には、朝鮮人500人、中国う人240人がいたという調査結果もある。「緑なき島」とも呼ばれたが、アパートの屋上には草木が植えられ、島内には食堂・共同浴場・学校の他、パチンコ店・映画館・プールまで備えられていた。長崎市も新たな観光名所として注目。07年から約1億500万円を投じて桟橋や見学用の通路を整備した。2015年7月5日世界文化遺産として決定した。

地理的特徴

長崎港の南西約19キロにある周囲約1.2キロの島。明治時代から海底炭鉱で栄え最盛期には5千人以上が住んだが、1974年に閉山した。現在は無人島になっている。

参考文献

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