スパルタ
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- | 紀元前449年、ギリシアの勝利でペルシア戦争が終わると再来に備えアテネ中心にデロス同盟を結成する。それに危機を感じたスパルタはペロポネソス同盟を結び対抗しようとした。 | + | 紀元前449年、ギリシアの勝利でペルシア戦争が終わると再来に備えアテネ中心にデロス同盟を結成する。それに危機を感じたスパルタはペロポネソス同盟を結び対抗しようとした。その後おこったペロポネソス戦争によってスパルタは勝利するが、マケドニアのフィリッポス二世がカイロネイアの戦い(338年)によってギリシアを下す。続くポエニ戦争ではカルタゴが支配されると同時に、ギリシア、スパルタも征服荒れていく。 |
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+ | 参考文献 | ||
+ | 世界史B用語集 山川出版 |
2015年7月31日 (金) 14:44の版
ペロポネソス半島の南部のラコニス平原を占めた、ドーリア人のポリス。ドーリア人が先住民を征服して設立した、征服型ポリスのステレオタイプ。ギリシアでは例外的に穀物自給ができ、市民の商工業が禁止されるなど鎖国体制がとられた。また、完全市民である征服者が被征服者の反抗を抑圧するために「リュクルゴスの制」と言われる特異な国政が定められた。また、スパルタの不完全市民を「周辺に住むもの」の意で、ペリオイコイと呼んだとされている。彼らは、農業、商工業に従事した。また、彼らには貢納従軍の義務を負わされたが、参政権はなかった。また、スパルタの完全市民に共有された奴隷農民のことをヘイロータイ(ヘロット)という。ドーリア人がスパルタの地に侵入した際に征服された人々が起源で、農耕労働を強制され、貢納の義務を負った。数は完全市民の倍とされ、しばしば反乱を起こした。
スパルタの滅亡
紀元前449年、ギリシアの勝利でペルシア戦争が終わると再来に備えアテネ中心にデロス同盟を結成する。それに危機を感じたスパルタはペロポネソス同盟を結び対抗しようとした。その後おこったペロポネソス戦争によってスパルタは勝利するが、マケドニアのフィリッポス二世がカイロネイアの戦い(338年)によってギリシアを下す。続くポエニ戦争ではカルタゴが支配されると同時に、ギリシア、スパルタも征服荒れていく。
参考文献 世界史B用語集 山川出版