マーティン・ルーサー・キングjr
出典: Jinkawiki
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生い立ち
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(通称:キング牧師)は1929年、ジョージア州アトランタで牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。父親と同じ名前であったが、父子とも「マーティン・ルーサー・キング」と改名。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。
経歴
1929 マーティン・ルーサー・キング・シニア牧師とアルバータ・C・W・キングの長男としてジョージア州アトランタに生まれる。
1944 飛び級でモアハウス・カレッジに入学
1947 説教者の資格を取得、エベニーザー・バプティスト教会の父の助手となる。
1948 バプティスト教会牧師の資格を与えられる モアハウス・カレッジ卒業(社会学) ペンシルバニア州のクローザー神学校に入学
1951 クローザー神学校卒業(神学士) ボストン大学神学大学院へ進学
1953 コレッタ・スコットと結婚
1954 連邦最高裁、公立学校での人種差別を憲法違反と判決(ブラウン判決)
1955 ローザ・パークス、座席を譲らず逮捕をうけてバス・ボイコット闘争始まる
1956 アラバマ州、モントゴメリー州、およびバスの人種隔離禁止命令が届く
1958 アイゼンハワー大統領と対談 「自由の大いなる歩み」出版 ハーレムで黒人女性に刺され入院
1960 ノースカロライナ州でランチ・カウンターのシットイン運動始まる ケネディ大統領と人種問題で会談
1961 アラバマ州各地で暴力の反抗を受ける。ミシシッピ州で逮捕
1962 オルバニー闘争で有罪判決 オルバニーで逮捕、投獄
1963 「バーミングハム獄中からの手紙」を執筆 非暴力直接大衆行動のモデルとなったワシントン大行進で「私には夢がある」演説、約25万人が参加 「汝 の敵を愛せよ」出版 フロリダ州セントオーガスティンの闘争で逮捕投獄 「黒人はなぜ待てないか」 オスロでノーベル平和賞を受賞
1967 初の黒人最高裁判事任命 初の黒人指導者と暴力停止を訴える 「黒人の進む道」出版
1968 メンフィスのローレン・モテルで、バルコニーに出ているところを狙撃され、死亡
演説
1963年8月28日に行われたワシントン大行進においてリンカーン記念堂の前で演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体で訴え広く共感を呼んだ。これが「I Have a Dream」(私には夢がある)で知られる有名なスピーチである。 「友よ、私は今日、みなさんに申し上げたい。今日も明日もいろいろな困難や挫折に直面しているが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根差した夢である。私には夢がある。それはいつかこの国が立ち上がり・・・」といったものである。
参考文献:『キング牧師の言葉』、コレッタ・スコット・キング:編 梶原寿・石井美恵子:訳、日本基督教団出版局、1993年
HN.ARS