伊勢崎空襲
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伊勢崎空襲は、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲である。
目次 |
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概要
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作戦任務第330号
- 日付 1985年8月14・15日
- 目標 伊勢崎市街地
- 参加部隊 第73・314航空団
- 出撃機数 93機
- 第一目標爆撃機数の割合 92.47%(第1目標86機、臨機目標2機)
- 爆弾の型と信管 M19 500ポンド焼夷収束弾 目標上空5,000フィートで解束するようセット。
M47 100ポンド焼夷弾 瞬発弾頭。 - 投下爆弾トン数 第1目標614.1トン、臨機目標11トン
- 第一目標上空時間 8月15日0時8分から2時15分
- 攻撃高度 15,450~18,200フィート
- 目標上空の天候 7/10-10/10
- 損失機数合計 0機
[注]この作戦任務概要は『日本空襲の全容』を参考にしているが、本書では、この文書には文書作成の日付がない、と訳者注が入っている。
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備考
米軍による日本空襲の最後の標的となった都市が熊谷と伊勢崎である。終戦前日の8月14日深夜、この二つの都市は戦災に見舞われた。
この日の空襲で特筆すべきことは、野戦命令による航空団以外からもB29が参加していることである。他の航空団からは、伊勢崎には8機が任意に参加しているが、こういった参加の前例はなく、米軍はこの日で日本本土空襲を終了するとわかった上での行動であると考えられる。
また、この両都市とあわせて、同日に最後の石油作戦も行われた。
石油作戦とは、夜間に製油施設を爆弾で破壊する作戦で、その対象となったのは、秋田の土崎石油であった。
伊勢崎では、死者29名を出した。
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参考資料
小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版
太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社