ベトナム戦争

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2008年4月28日 (月) 22:15の版

  ベトナム戦争とは

 1958年から1975年まで続いたベトナムの南北統一をめぐって争われた戦争である。北を支援したのがソ連・中国の共産主義国であり、南を支援したのがアメリカだった。アメリカがベトナムに介入した理由は、いわゆる「ドミノ理論」という東南アジアにおける共産主義の拡大を阻止することがアメリカの利益につながる(インドシナを失えば、タイ・ビルマ〈現ミャンマー〉などの近隣諸国も共産主義の手に落ちる)という考えや、資本主義経済を構築するために不可欠とおもわれた日本の経済再建を、日本に東南アジアという市場を与えることによって達成しようとした構想を無駄にしかねない脅威を排除したかったこと、またアメリカの経済を活性化させるために軍事複合体を基盤にして経済的に潤おうとした考えなどがある。   

ケネディ、ジョンソン、ニクソンというアメリカでは3代の大統領がこの戦争に関与し、多い時には年間54万人の軍隊が派遣された。それにともないこの戦争では死者も多く撤退したアメリカ人で6万人近い死者を出し、南北ベトナム人に関しては200万人近い死者をだした。また、今でも後遺症に苦しんでいる人は数多くいる。



戦後直後には、アメリカでいわゆるベトナム・シンドロームとよばれるベトナム戦争を一刻でも忘れたいという考え方が浸透していて、戦争を総括するとか、責任を追及するなどという行為はせず、戦争そのものをテーマとする映画は一切製作されなかった。間もなくして、アメリカはベトナム戦争を忘れようとしても忘れられないほど深く傷ついていることを自覚ることになり、自覚して初めて傷をいやしてくれる指導者や映画を求め、80年代の映画「ランボー」等は忘れられない戦争としての表現だったといえよう。そして戦後25年を通過した今日でもベトナム戦争はベトナム国内や在米ベトナム人の間でもなお論争的さ戦争であり、個々のアイデンティティーと深く結びついている。


   関連人物について

  ・ジョン・ケネディー

      アメリカ第35代大統領であり、当時の社会情勢に最も関与した大統領かもしれない。「アメリカから遠く離れた戦争にさぜ関与しなけえばならないのか」、あるいは「なぜせんそうはこんなにも長引くのか」等の質問が国内からも現れはじめ、彼の手腕によって終わりが見え始めていた時、暗殺されてしまうことになる。


  ・リチャード・ニクソン

      ケネディー死後、一時的にジョンソンが大統領になったが、強い反戦運動が続く中、これ以上戦争を続けるわけにはいかないと判断し、54万人に達していた陸上兵力削減に取り掛かり、ベトナム戦争を終結させた。


  ・ホー・チ・ミン

      「自由と独立ほど尊いものはない」の発言に、その精神を死ぬまで集約させた人物である。彼の指導そたベトナムの戦いは、「冷戦構造」をつきぬけて民族統一をめざし、ベトナムのみならず、世界が「大国主導」から解き放たれる条件形成におおきな役割を果たした。彼はベトナムの勝利を生きている間は見ることができなかったが、彼の死は世界中の多くの人を悲しませた。彼は、「戦うこと」と「愛すること」を同時に体得した指導者であった。革命の道を示したのが彼の役割であった。


 


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