憲法の死

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2014年11月5日 (水) 18:06の版

目次

概要

 憲法とは本質的には文章によって表される「成文法」ではなく、慣習によって成立する「慣習法」である。憲法が死ぬとは、記載されている憲法の条文やそれらにおける精神が実際の慣習において無視され、その効力を実質的に失っている状態のことを指す。憲法の精神が実際に体現されていなければ、文章で記載された憲法の条文が公式に廃止される宣言を受けていなくても無効になってしまうという考え方である。

ワイマール憲法の死

 ワイマール憲法が死んだとされるのは1993年3月23日のことだとされている。ヒトラー政権が定めた「全権委任法」によって立法権を行政に譲り渡したことにより、憲法廃止の宣言なしに憲法が廃止されてしまった日である。本来、憲法では、立法権を持つのは議会であり、行政の持つ権限ではない。それをヒトラーがすべて立法権を行政に渡す法律をワイマール憲法に則って制定し、合法的に独裁者が生まれたと同時に憲法が死んだのである。

ズーターの逸話

 19世紀後半のアメリカにおいて憲法が死んでいる状態であったことを示唆する記述がシュテハンツヴァイクによって書き残されている。ヨハン・アウグスト・ズーターという人物はアメリカのゴールドラッシュの犠牲者である。1848年、ズーターの所有する農場から金が採掘されたことを契機にゴールドラッシュが始まり、金を目指す多くの流入者たちによって彼の農場は荒らされ、不法に占拠されることになった。その後1850年、ズーターは自身の正当性と権利を裁判に訴え、不法占拠者1万7220人の立ち退きと2500万ドルの賠償金を要求し、裁判所で認められた。しかしその判決を聞いた不法占拠民たちが、ズーターの財産すべてを奪い取ろうと暴動を起こした。1万人を超える暴漢たちを前になすすべなく、ズーターは家族も殺され、財産も奪われ、すべてを失い、ただの一人になってしまった。1880年ズーターの権利は何一つ認められることなく、彼は一生を終えた。

参考文献

痛快!憲法学  . 小室 直樹 2001年 人類の星の時間 . シュテハン・ツヴァイク、片山 敏彦 訳 1972年


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