クループスカヤ3

出典: Jinkawiki

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ペテルブルグの良識ある知識人の家庭に生まれたクループスカヤ(1869~1939)は、ペテルブルグの学生サークルでマルクスやエンゲルスらの思想を学び、社会変革による人間解放の思想を深め、1894年にはレーニンとの運命の出会いを経て、革命運動に従事する。十月革命後は生涯の終わりまで、ロシア共和国教育人民委員部参与会委員を勤め、1929年からは、ロシア共和国教育人民委員部次官としてソビエトの国民教育の創造と発展に中心的役割を果たした。また、彼女は教育学研究の面でも指導者として国家学術会議の教育科学部門を主催し、ソビエト連邦初の教育学博士号を取得している。クループスカヤは、幼児教育に限らず、一般にソビエト教育の目的を「全面的に発達した人間の育成」に求めた。このような人間の具体像として、彼女は次のように述べる。

「全面的に発達した人々は、意識的で組織された社会的本能を持ち、一貫して考え抜かれた世界観を持ち、自然や社会生活において自分の周囲で起こるすべてのことをはっきりと理解する人間、肉体労働であれ、精神労働であれ、すべての種類の労働に対して、理論の上でも実践の上でも準備ができており、合理的で充分な衣食住を与えることができ、美しく楽しい社会生活をうちたてることができる人間である。」

このような人間の形成を、クループスカヤは、一方では、理論と実践の統一において生産労働の全面的な学習を保障し、生産の主人公を育成する「総合技術教育」(ポリテフニズム)を通して実現しようとした。また、他方で、集団における民主的人間関係の組織化(人間関係の変革)を通して、子どもの持つ「社会的本能」を開花させ、他人の心の痛みの分かる人間を形成しようとしたのである。クループスカヤの教育理論と教育実践は、何よりも近現代の教育遺産の緻密な研究と批判的分析に依拠しており、社会主義体制の出現とその確率過程の中で、それを創造的に適用し、社会主義に基づくあるべき教育体制をいかに作り出すかという課題と密接に関連していた。


参考文献 『西洋の教育の歴史』(2010) ミネルヴァ書房 山﨑 英則


  人間科学大事典

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