土方歳三
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[生]1835年(天保6年)[没]1869年(明治2年)。近藤勇を局長とする新撰組の副長をつとめた男。新撰組の鬼の副長として知られる幕末の武士。武蔵国多摩郡の農家の4男に生まれる。行商のかたわら剣術を学び、天然理心流近藤周助の門弟となる。1863年(文久3年)の徳川家茂上洛にともなって、組織された浪士隊に参加、京都に在留し、新撰組の結成に加わった。1864年(文久3年)の池田屋事件では、土方隊を率い、途中から戦闘に参加し活躍する。土方の主導は厳しく、局中法度では「背くものは切腹」という規則で統制した。戊辰戦争では、榎本武揚に従い新政府軍に抗戦するが、函館五稜郭で戦死。 | [生]1835年(天保6年)[没]1869年(明治2年)。近藤勇を局長とする新撰組の副長をつとめた男。新撰組の鬼の副長として知られる幕末の武士。武蔵国多摩郡の農家の4男に生まれる。行商のかたわら剣術を学び、天然理心流近藤周助の門弟となる。1863年(文久3年)の徳川家茂上洛にともなって、組織された浪士隊に参加、京都に在留し、新撰組の結成に加わった。1864年(文久3年)の池田屋事件では、土方隊を率い、途中から戦闘に参加し活躍する。土方の主導は厳しく、局中法度では「背くものは切腹」という規則で統制した。戊辰戦争では、榎本武揚に従い新政府軍に抗戦するが、函館五稜郭で戦死。 | ||
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山川日本史小辞典 | 山川日本史小辞典 |
2015年7月28日 (火) 23:57の版
土方歳三
概要
[生]1835年(天保6年)[没]1869年(明治2年)。近藤勇を局長とする新撰組の副長をつとめた男。新撰組の鬼の副長として知られる幕末の武士。武蔵国多摩郡の農家の4男に生まれる。行商のかたわら剣術を学び、天然理心流近藤周助の門弟となる。1863年(文久3年)の徳川家茂上洛にともなって、組織された浪士隊に参加、京都に在留し、新撰組の結成に加わった。1864年(文久3年)の池田屋事件では、土方隊を率い、途中から戦闘に参加し活躍する。土方の主導は厳しく、局中法度では「背くものは切腹」という規則で統制した。戊辰戦争では、榎本武揚に従い新政府軍に抗戦するが、函館五稜郭で戦死。
参考資料
山川日本史小辞典