尖閣諸島4

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2015年7月29日 (水) 02:06の版

概要

尖閣諸島は、東シナ海に浮かぶ南西諸島西端の島々のことである。魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の5島と、沖ノ北岩、沖ノ南岩、飛瀬の3岩で構成されている。すべて合わせても山梨県の河口湖ほどの広さである。尖閣諸島の中で一番大きい魚釣島は、石垣島から約170キロ、台湾本島から約170キロ、中国大陸からは約330キロ離れたところにある。

== 経緯 ==

1884年福岡県出身の実業家、古賀辰四朗が尖閣諸島を探検、調査し、当時高値で取引されていたアホウドリの羽毛や魚介類の採取に適していることが確認された。翌年1885年に沖縄県が尖閣諸島への「国標建立について指揮を仰ぎたい」との上申書を山県有朋内務卿に提出した。これに対して、「清国属している証拠が見当たらず、国標の建立には差し支えない」という判断であった。しかし、井上外務卿が「清国の疑惑を招く」としたため建設は見送られた。そして、1894年の8月に日清戦争が開戦しその年末にはこの勝敗がほぼ確定した情勢の中で1895年1月にようやく、10年前とは事情が異なるとしてこの話の閣議決定が行われた。当時の外務省の尖閣諸島の領有権についての見解は、「尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上」正式に領土に編入した。この領有の経緯は国際法上、正式に領有権を取得するための法律(先占の法理)に合致していると日本政府は判断している。 これに対して、中国が領有権を主張し始めたのは、1971年12月になってからのことである。日本が領有を閣議決定してから76年もあとのことだ。中国が突然、領有権を主張し始めた背景には、尖閣諸島を含む東シナ海の海底に眠っている石油資源の存在である。国連アジア極東経済委員会が1969年に発表した報告書に「台湾と日本の間に横たわる浅海底は、将来一つの世界的な産油地域となるであろうと期待される」と書いた。中国の領有権の主張はこの直後からであった。また、台湾については中国の主張よりも半年早い1971年6月に主張している。 現在日本政府は、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上あきらかであり、現に我が国はこれを有効に支配している。したがって、尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない。」としていて、日本は領土を保全するために冷静に対応していく、日本は国際法上の遵守を通じた地域の平和と安定の確率を求めている、と述べている。(外務省ホームページ)

参考文献 『基礎からわかる 日本の領土・海洋問題』2012年 小林敬和 中央公論新社


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