桃太郎
出典: Jinkawiki
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物語の成立については諸説存在し、それぞれ争いのあるところである。有力説のひとつとしては、第7代孝霊天皇の第3皇子彦五十狭芹彦命、 稚武彦命兄弟の吉備国平定における活躍と、岡山県の温羅伝説に由来するものとする説がある。これは、古代の大和政権と吉備国の対立構図 を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものである。この説をもとに、桃太郎のモデルとなった人物が彦五十狭芹彦命であるとする見方が 広く知られている。これにちなんで、彦五十狭芹彦命の故郷である奈良県磯成郡田原本町の初瀬川には、川上から男の子が甕にのって流れて きて、西の方角に向かい神様になったという伝承が残る。西の方とは、『古事記』や『日本書紀』の孝霊天皇、彦五十狭芹彦命の記述から、 吉備や讃岐をさすと考えられる。
明治時代初期までは桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんの間に桃太郎が生まれたという回春型の話のほうが主流であった。この他にも 「赤い箱と白い箱が流れてきて、赤い箱を拾ったら赤ん坊が入っていた」、「川上から二つの桃が流れてきたのでおばあさんが『緑の桃は あっちへいけ、赤い桃はこっちへこい』というと赤い桃がよってきた」など、物語に差異があるものが多数伝わっているが、巌谷小波により 1894年に『日本昔話』としてまとめられたものがその後の語り伝えに大きく影響した。