アフリカの内戦

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2015年7月31日 (金) 17:06の版

ルワンダ内戦

原因 多数派のフツ族と少数派のツチ族の対立。もともとフツ族とツチ族の違いは大きな ものではなかったが、ベルギーの植民地政策によって少数派のツチ族が優遇され民族対立 が煽られた。

経緯 独立後のルワンダは、フツ族中心の政治体制になった。これにツチ族が反発し、1990年頃 から内戦状態となった。1994年にフツ族出身の大統領が暗殺されると、フツ族過激派 によるツチ族の虐殺が行われた。その後、ツチ族を主体に結成された反政府組織「 ルワンダ愛国戦線 」がフツ族過激派を倒し、新政権が樹立され、内戦は鎮静化した。 現在 2003年には新憲法が採択され 、内戦下で発生した多くの難民の帰還と国内の民族融和 が進められている。現在治安は比較的安定し、経済も着実に成長している。ブルンジでもフツ族とツチ族の対立が続いていたが、2000年代に入ってから和平プロセスが進められ ている 。


ソマリア内戦

原因 ソマリアでは、民族の内部は伝統的集団として複数の氏族にわかれている。この民族間の対立が独裁政権の崩壊によって顕在化した。 経緯 ソマリアは1960年に北部のイギリス領と南部のイタリア領が合体して建国した。 1991年にバレ大統領の独裁体制が反政府勢力の「 統一ソマリア会議 」に倒されたがこれ を機に各氏族の武装勢力間の内戦状態となった。さらに、北部では「ソマリランド」が独立 を宣言し、南北が分断された。国連は1992年にPKOを派遣したが、武装勢力の抵抗によって1995 年には完全撤収を派遣した。 現在 2005年には周辺諸国の仲介によって暫定政権が発足。しかし、その後も暫定政権に反対 する勢力との内戦が続き、周辺海域では海賊の被害が絶えない。暫定政権は、2012年にに暫定憲法を採択し、新内閣を発足。21年ぶりに統一政府が樹立したが治安は回復せず。


スーダン内戦

原因 イギリス統治下のスーダンでは、南北間の交流を禁止する政策がとられていた。また、1956年の独立後、アラブ人が優遇され南部の黒人住民はさべつされた。

経緯 独立を目指す南部と政府側の北部は20年以上にわたって内戦を続けてきた。これに加え て、2003 年には西部のスーダンダルフール地方で 、スーダン政府に支援されるアラブ系兵と黒人系住民との間に紛争が起こった。この紛争は「 民族浄化 」と称する大量虐殺 ( ジェノサイド )が行われ「 世界最大の人道危機 」といわれた。

現在 南北間では2005年に和平合意が成立し、ダルフール紛争も2009年に和平合意が成立した。 南部は2011年に独立の是非を問う住民投票が行われた結果 、独立が認められ南スーダン が誕生した。しかし、 スーダンと南スーダンは油田地帯のアビエイの帰属をめぐって対立 している。また、南スーダンでは政府と反政府勢力との戦闘が続けられており、治安は回復していない。

参考文書 政治経済資料集2014  ハンドルネーム T.A


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成