東京大空襲2
出典: Jinkawiki
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概要
1945年3月10日未明、米軍のB-29爆撃機約300機が来襲し、約33万発の焼夷弾を投下。下町の住宅密集地を標的とした無差別絨毯爆撃で、現在の墨田区、江東区、台東区を中心に約40平方キロが焦土と化し、この日の爆撃だけでも約10万人の命が奪われてしまった。
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空襲被害
米軍爆撃機による本格的空襲は1944年6月から始まった。当初は軍需工場が標的だったが、一夜で約10万人の命が奪われたとされる45年3月の東京大空襲以降、無差別爆撃にかわった。全国約230都市が被災し、60万人近い死者が出たとされるが、国は犠牲者の実態調査をしなかったため、実数は不明だ。大阪への空襲は44年12月から45年8月14日まで約50回に及び、うち100機以上に爆撃された大空襲は8回。最も被害が大きかった45年3月13〜14日の大空襲では1733トンの焼夷弾が投下され、大阪市中心部の約21平方キロの約13万6千戸が焼けた。
参考文献
世界史の窓 http://www.y-history.net/appendix/wh1505-111_1.html
weblio辞書 http://www.weblio.jp/content/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
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