トーベ・ヤンソン

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2015年7月31日 (金) 19:51の版
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==人物== ==人物==
- +家族構成は、スウェーデン語系フィンランド人の父、スウェーデン人の母、6歳違いと12歳違いの弟二人。父は彫刻家、母は挿絵作家と、生まれながらに芸術に囲まれた環境で育つ(ちなみに弟二人もその後、それぞれ、写真家と小説家になっている)。名が知れた彫刻家であった父だが、彫刻の仕事はそう多くはなく、母がお金になる仕事を選んで絵を描いては稼いでいた。
- +勉強嫌いだったトーベは学校を15歳で学校を中退し、その後ストックホルムの工芸専門学校へ通い、画家を目指した勉強を始める。帰国後も今度はヘルシンキにある父の母校にて油絵を学び、その後はパリ、イタリア各地を巡り修行を積む。
 +印刷物としてトーベの絵が世に出たのは13歳のとき。その2年後、挿絵が政治風刺雑誌「ガルム」に掲載される。1939年の秋以降は当誌に精力的に作品を投稿している。
 +その後第二次世界大戦が始まり、「ガルム」にも検閲が入るようになってしまい、逃げ道として描き始めた童話がムーミン物語として続いていくことになる。
 +当時、相当な数のファンレターを受け取っていたが、それらすべてに返事を書いていた(弟談)。
 +泳ぐのがとても得意だった。
===画家としてのトーベ=== ===画家としてのトーベ===
- +10代から20代にかけて工芸専門学校で基礎を、、その後の画学校では油彩科に進んでおり、トーベのアイデンティティはここにあったと言っても過言ではない。かなりの点数の油彩を描いており、画風は大きく三つの時期に分けることができる。
- +#印象主義的、マティスの影響
- +#表現主義
- +#完全な抽象画
 +フィンランドの研究者、エリック・クルスコップによる評価は「時代に一歩遅れた画家」。新鮮味に欠けるが、それは古い世代の画家の影響のせいではないかと評されている。
==ムーミン== ==ムーミン==
- +ムーミンがキャラクターとして初めて用いられたのは1940年代の「ガルム」。その後、自分の分身でもあったこのキャラクターを主人公に小説を書こうと完成させたのが「小さなトロールと大きな洪水」(1945年刊行)。このときは売れ行きが不調で早々に絶版。
- +その後第二作~第五作の四作品は1968年に改訂版が刊行されている。
- +*1946「小さなトロールと大きな洪水」
- +*1946「ムーミン谷の彗星」
- +*1948「楽しいムーミン一家」
- +*1950「ムーミンパパの思い出」
- +*1954「ムーミン谷の夏まつり」
 +*1957「ムーミン谷の冬」
 +*1962「ムーミン谷の仲間たち」
 +*1965「ムーミンパパ海へいく」
 +*1970「ムーミン谷の十一月」
 +フィンランドで生まれた作品なのに、スウェーデン語で書かれているのは、スウェーデン語系の家庭で育ったためである。
 +1952年、イギリスの夕刊紙の重役から、漫画でムーミンを描いてみないかと声をかけられ、1954年から7年間、漫画版ムーミンの連載が始まる。漫画に関してはほとんど素人であったトーベは、漫画の作法を学びに一カ月ロンドンに滞在したという。しばしばネタに困っては弟に頼り、七年回の契約が済んでからは、連載を弟に託している。
==参考== ==参考==

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Tove Jansson (1914年-2001年) フィンランド、ヘルシンキ生まれの女性アーティスト。スウェーデン系フィンランド人の芸術一家に生まれ、若い頃にストックホルムやパリで絵を学ぶ。「ムーミン物語」の作者として知られるが、絵本作家のみならず、風刺画や漫画、絵画、小説など、様々な分野で活躍した。


目次

人物

家族構成は、スウェーデン語系フィンランド人の父、スウェーデン人の母、6歳違いと12歳違いの弟二人。父は彫刻家、母は挿絵作家と、生まれながらに芸術に囲まれた環境で育つ(ちなみに弟二人もその後、それぞれ、写真家と小説家になっている)。名が知れた彫刻家であった父だが、彫刻の仕事はそう多くはなく、母がお金になる仕事を選んで絵を描いては稼いでいた。 勉強嫌いだったトーベは学校を15歳で学校を中退し、その後ストックホルムの工芸専門学校へ通い、画家を目指した勉強を始める。帰国後も今度はヘルシンキにある父の母校にて油絵を学び、その後はパリ、イタリア各地を巡り修行を積む。 印刷物としてトーベの絵が世に出たのは13歳のとき。その2年後、挿絵が政治風刺雑誌「ガルム」に掲載される。1939年の秋以降は当誌に精力的に作品を投稿している。 その後第二次世界大戦が始まり、「ガルム」にも検閲が入るようになってしまい、逃げ道として描き始めた童話がムーミン物語として続いていくことになる。

当時、相当な数のファンレターを受け取っていたが、それらすべてに返事を書いていた(弟談)。 泳ぐのがとても得意だった。


画家としてのトーベ

10代から20代にかけて工芸専門学校で基礎を、、その後の画学校では油彩科に進んでおり、トーベのアイデンティティはここにあったと言っても過言ではない。かなりの点数の油彩を描いており、画風は大きく三つの時期に分けることができる。

  1. 印象主義的、マティスの影響
  2. 表現主義
  3. 完全な抽象画

フィンランドの研究者、エリック・クルスコップによる評価は「時代に一歩遅れた画家」。新鮮味に欠けるが、それは古い世代の画家の影響のせいではないかと評されている。

ムーミン

ムーミンがキャラクターとして初めて用いられたのは1940年代の「ガルム」。その後、自分の分身でもあったこのキャラクターを主人公に小説を書こうと完成させたのが「小さなトロールと大きな洪水」(1945年刊行)。このときは売れ行きが不調で早々に絶版。 その後第二作~第五作の四作品は1968年に改訂版が刊行されている。

  • 1946「小さなトロールと大きな洪水」
  • 1946「ムーミン谷の彗星」
  • 1948「楽しいムーミン一家」
  • 1950「ムーミンパパの思い出」
  • 1954「ムーミン谷の夏まつり」
  • 1957「ムーミン谷の冬」
  • 1962「ムーミン谷の仲間たち」
  • 1965「ムーミンパパ海へいく」
  • 1970「ムーミン谷の十一月」

フィンランドで生まれた作品なのに、スウェーデン語で書かれているのは、スウェーデン語系の家庭で育ったためである。 1952年、イギリスの夕刊紙の重役から、漫画でムーミンを描いてみないかと声をかけられ、1954年から7年間、漫画版ムーミンの連載が始まる。漫画に関してはほとんど素人であったトーベは、漫画の作法を学びに一カ月ロンドンに滞在したという。しばしばネタに困っては弟に頼り、七年回の契約が済んでからは、連載を弟に託している。

参考

  • ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン/冨原眞弓/2014.4
  • 読んで旅する世界の歴史と文化 北欧/百瀬宏,村井誠人,他/1996.5
  • ムーミン公式サイト http://moomin.co.jp/
  • 生誕100周年 トーベ・ヤンソン展~ムーミンと生きる~ http://www.asahi.com/event/tove100/


(執筆:たなかなか)


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