インカ帝国2

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岡崎勝世他『明解 新世界史A』帝国書院 岡崎勝世他『明解 新世界史A』帝国書院
-[インカ帝国 - Wikipedia]http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt+[インカ帝国 - Wikipedia]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD

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目次

インカ帝国

南アメリカ、アンデス山中にケチュア語系のインカ族が建設した国家。ペルーのクスコを都とし、一五世紀末に最盛期を迎え、その版図は、北はエクアドル、南はチリに及んだ。トウモロコシ・ジャガイモを栽培し、巨大な石造建築・土木灌漑・織物などの高度な文明を有した。1553年スペイン人ピサロらによって征服された。


インカ帝国の成立

アンデス世界では文字の記録がないので、その起源は定かではないが、神話から推察するとアンデス世界の大都市形成期のなかば、1200年頃に、ケチュア族の中のインカ部族が中央アンデスのクスコに地方的小国家をつくったと思われる。スペイン人の年代記作者の記録も矛盾することが多いが、それらを総合すると、初代のマンコ=カパックから13人の皇帝が即位した。初代を除く12人の皇帝は実在の人物のようであり、ここから逆算するとインカ帝国の成立は1200年ごろと推定される。


インカ帝国の政治と社会

インカ帝国は宗教と政治が一体化しており、太陽信仰が国家の基本であり、皇帝は「太陽の子」または太陽の化身として統治するという「太陽の帝国」であった。皇帝を支える貴族層と太陽の神殿の儀礼を司る聖職者が存在した。大部分の国民は農民としてトウモロコシやジャガイモの栽培にあたり、重い賦役や兵役を負担した。経済は厳しい統制経済であり、人口や産業、税額や取引額はキープ(結縄)によって記録され、毛織物の原料であるヤーマの牧畜は公営で行われた。道路網の建設、灌漑施設、鉱山などの事業も公営で行われ、このようなインカの社会を「太陽の社会主義」と評した人もいる。


インカ帝国の滅亡

南米大陸のアンデス文明の中でひときわ繁栄していたインカ帝国は、1833年、征服者(コンキスタドール)ピサロに率いられたスペイン軍によって征服され、滅亡した。


参考文献

泉靖一『インカ帝国』岩波新書

岡崎勝世他『明解 新世界史A』帝国書院

[インカ帝国 - Wikipedia]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD



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