ロジャーズ2

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-カール・ロジャース、ロジャースを読む+①カール・ロジャース
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カール・ロジャーズ(1902-1987) アメリカの歴史で最も影響力を持った心理学者。


目次

有名な著作

『ロジャーズが語る自己実現の道』、『クライアント中心療法』、『新・創造への教育』、『人間尊重の心理学』、『人間の潜在力』、『エンカウンター・グループ』、『結婚革命』


生涯

1902.1.8   シカゴの郊外オークパークで生まれる。6人兄弟の4番目で、兄弟の5人が男の子。病弱で内向的な性格で家族からはからかわれ、読書に慰めを求めるようになり、学校でも孤立していた。

1904  シカゴの西30マイルの距離にある大農園に引っ越す。理由:父の趣味として農園を持ちたがっていたこと、青年期の子どもたちを郊外都市のさまざまな誘惑から遠ざけること。

農園の周りの木に寄生していた夜行性の蛾に熱中する。それがきっかけで科学農業を熱心に学び始める。

1920  ウィシコンシン大学に入学し、科学農業の分野に進む。世界学生キリスト教会議のアメリカ代表の一人に選ばれ、半年以上中国の旅へ。 帰国後まもなく十二指腸潰瘍と診断。数週間の入院生活を経て、快方へと向かう。

1924.8  同じ大学の芸術専攻だったヘレンと結婚。そのあと、ニューヨークのユニオン神学校に入学。

1926  コロンビア大学教育学部の正規の学生になる。そして、子どもが生まれる。

1928  ロチェスター児童虐待防止協会の児童研究部門に職を得る。

1939  オハイオ州立大学の正規の教授職を与えられる。

1963  大学に辞意。

1979  妻ヘレン死去。

1987  ロジャーズ死去。


クライエント中心療法の誕生

児童臨床の実践家であった彼は、実践家であると同時に研究者、そして教育者として心理臨床の分野をリードしていく立場に就くことになった。臨床実験の対象は、子どもとその親たちから、大学生、社会人、主婦といった一般の人びとへと広がった。そうした中で次第に、臨床実践に関する自分の考えが、ある新しい独自な方向性を持つものであるという確信を抱くようになる。そして、1942年『カウンセリングとサイコセラピィ』が公刊された。ロジャーズによる、新しい立場の提案が世に広く知られるのは、この本の出版によってである。


来談者中心療法

カウンセリングの場の主導権と話題の選択権は、クライアントのそばにあり、カウンセラーは包容力ある傾聴者になり、自らの価値観から助言や忠告をする。 ロジャーズの心理学理論は、人間の潜在的な能力である適応、回復、成長へと向かう性質を深く信頼する人間主義のアプローチを志している。 誰が聞いてもわかりやすく、簡素明瞭なのが特徴である。


参考文献

①カール・ロジャース

②ロジャースを読む


  人間科学大事典

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