部落問題2

出典: Jinkawiki

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目次

部落差別とは

「比較的少数の家からなる地域的共同体。生産と生活をともにする農民の共同体的結合を基礎とした地縁団体として形成され、明治時代の市町村制施行以後市町村の下部機構として機能するようになった。(大辞林 第二版 (三省堂))」とある。つまり、本来は集落といった意味で使われていたのである。歴史的にエタ村あるいはエタと称された賤民の集落や地域を、行政が福祉の客体として「被差別部落民(略して部落民)」

種差別撤廃条約

1965年:国連総会で採択 1969年:発効 2005年:締約国は170カ国。 「悪質な差別行為の禁止」「被害者への救済」「劣悪な状況におかれている人びとへの特別措置」「教育啓発活動の推進」を明確に規定している。

部落差別の例ーハンセン病とは

らい菌による慢性の感染症のこと。初期症状は皮疹と知覚麻痺である。治療薬がない時代には変形を起こしたり、治っても重い後遺症を残すことがあった。そのため、主に外見が大きな理由となって社会から差別を受けてきた。現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになった。 ハンセン病は、およそ1400年も前から日本にあった病気。ハンセン病になる原因は神様を信じなかった、元々人の不幸を引き受ける役目だから、親から子へと受け継がれる病気などと考えていた。現在はそのようなことはないということがわかっているが、昔の人たちはこの事を信じていたので、患者を嫌って近寄らないようにしていた。よって患者だけを集める療養所を作って強制隔離をしても、「それが当たり前」と思い込んでいた。

療養の歴史

初期(15世紀)〜現代


⑴初期 日本では、最初にキリスト教や仏教を広める人たちが療養所を造った。その後、国と県がつくった療養所ができた。120年前に外国から日本にキリスト教を広めようとして来た人たちや、日本の僧などは、自分でお金を出してハンセン病の療養所をつくった。そこでは、差別をされて嫌われて、家もなく、食事も十分にできない患者を看病し住むところや食べ物をあたえた。 よって日本で最初にできたキリスト教や仏教の療養所は、患者を無理やり集めて閉じ込めてしまうための場所では無かった。

⑵初期〜中期 1907年国と県が療養所を設計し、ハンセン病の患者をそこに閉じ込める政策(政府のやり方)を始めた。はじめは住むところがなく、道ばたなどで暮らしていた患者だけを療養所に集めようとしたが、ハンセン病が人から人へうつる病気だとわかったため、他の人にうつさないようにすることが目的だった。しかし、実際はうつりやすい病気では無かった。 また同時に日本の政府は、外国人に患者がいることを見られる事を恥ずかしく思い、療養所に患者を閉じ込めたのは、患者を隠すという目的があった。国と県の療養所では、少ないお金でより多くの患者を入れられるようにするしくみがつくられた。例えば逃げようとしたり、職員の言うことをきかなかったりした患者は牢屋(監禁室)に入れるための懲戒検束規定を作ったり、患者同士が結婚して子どもが産まれれば、その子どもを育てるためにお金がかかるという理由で、患者に子どもを産めないようにする断種手術や中絶手術を受けさせた。 療養所では料理や洗濯、大工や道路工事、畑仕事など、療養所での仕事も、患者たちにさせた。給与はひどく安く、患者さは仕事のせいでけがをしたり、病気をもっと悪くしたりした。

⑶中期 1930年ころ、日本はすべての患者を療養所へ閉じ込めてしまうことにした(絶対隔離という)。いったん療養所に入れられた患者は、死ぬまで外に出られず、家にも帰れないようにした(終生隔離という)。よってそれまでよりもたくさんの患者を閉じ込めるために、療養所を広げたり、新しくつくったりした。当時、国や県は、「ハンセン病は治らないし、恐い病気だ」「療養所はとても良い場所だ」と宣伝し、人びとに、近くでハンセン病の患者や患者の家を見つけたら、警察や役所の人に知らせていた。 また、それぞれの県で、どこが早く全部の患者さんを療養所に入れるか「無癩県運動」という競争までしていた。

⑷中期〜後期 太平洋戦争が起きると、患者は病気で役に立たない人間だと見られて冷たい扱いをされたが、太平洋戦争終戦時の翌年日本国憲法ができ、基本的人権を誰もが持っていると述べられている。 1947年に、ハンセン病を治すことのできる初めてのプロミンという薬が登場した。それまで療養所の中で起こっていたことが周知に知れ渡り始めた。患者は、意見をまとめる団体(自治会)や、その全国組織をつくり、療養所をよくすることをめざして活動した。病気が治った人は、療養所を出たり、外に働きに行ったりするようになりました。でも、そういう時にはハンセン病だったことを隠す必要があった 1953年から1996年までの43年間も、患者や、ハンセン病が治った人たち(回復者)は、療養所を暮らしやすくしようと努力し、また病気になった時にも治してもらえるように、病院としても良い場所にしてほしいとうったえ始めた。療養所に住んでいても、病気は治っている人がほとんどだった。しかし患者さんを療養所に入れ続けるらい予防法は残っていた。


⑸後期 1996年にらい病予防法が廃止された。患者達は自分たちを家族から無理やり引き離して療養所に入れてしまったことや、療養所の中で劣悪な生活をさせたこと政府や療養所に謝辞させるため裁判を起こした。裁判は患者が勝ち、政府はハンセン病への偏見や差別をなくすために努力することを約束した。 しかし長期間療養所に入れたままにされたため、入所者の人たちはふるさとの家族や親戚と離ればなれになり、仲のいい人もいなくなり、帰る場所がなくなってしまった課題がある。

⑹現在〜 昔の療養所では子どもを産めなかったせいで、子どもや孫のいない人が多く介護のため引き取るという事が出来ない事が課題としてある。旧患者は「療養所から外に出たら、今でも自分や家族が、まわりの人たちからいやなことをされてつらくかなしい思いをするかもしれない」と心配して、入所者の人たちは、いられる場所が療養所など限られている。今では療養所は入所者の人たちの大切な場所になっており、入所者の人たちの家があり、体のぐあいが悪くなった時に治療をする病院があり、亡くなった後に入るお墓(納骨堂)がある。 入所者の人たちはそれぞれの部屋で、自分で生活している。また、体の不自由な人は介護員に手伝ってもらっている。

水平社

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高らかに人間の尊厳と平等をうたい上げている。 1922年3月3日:全国水平社創立 創立者(西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作、米田富ら、) 日本で最初の人権宣言といわれ、解放運動に生き続けている。世界人権宣言が国連で採択されてから50年、「人種差別撤廃条約」の批准や「国連人権教育のための10年」の決議、また、我が国においても「人権擁護施策推進法」や「アイヌ新法」が制定されるなど、人権に対する国際的関心が高まっている。

日本国憲法

現在のところ、直接的に部落差別を禁止する法律はないが、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」(第11条)であることを規定した上で、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(第13条)の尊重、第14条では「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と「法の下の平等」を定めている。 このように憲法上、部落差別が決して許されないものであることはあきらかで多くの自治体においても、部落差別をはじめとする差別の解消と人権擁護のための運動がある(水平社など)。 2001(平成13)年、国連人種差別撤廃委員会は、日本に「人種差別」を禁止する特別法の制定が必要であると指摘している。同年、国連社会権規約委員会は「差別禁止法を強化するよう強く勧告する」と、日本政府の対応を批判している。そのため現在日本でも、部落差別を禁ずる内容をもりこんだ法律の整備や、人権侵害の救済や人権政策の提言機能をもった「人権委員会」の設置が求められている。

国際的な視点からみた部落問題

国際的には国連を中心として、積極的に差別を禁止する条約が制定されている。1995(平成7)年に日本が加入した「人種差別撤廃条約」では、「人種差別」をたんに「人種」や「皮膚の色」という狭い意味ではなく、「世系」「民族」「種族」などに対する差別を含むものと定義しており、日本の部落差別はこのうちの「世系」にもとづく差別であると国際的に認知されています。 条約の締約国である日本でも、この条約は法的効力を持っている。しかし日本では具体的な取り組みを定めた法整備が遅れているのが現状である。


参考 国立ハンセン病資料館 http://www.hansen-dis.jp/index.html


国立ハンセン病資料館・資料 水平社博物館 http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/message00.html

人権情報ネットワーク http://www.jinken.ne.jp/flat_consultation/buraku/cat849/post_449.php


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