子どもの貧困

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阿部彩 『子どもの貧困』 岩波新書 阿部彩 『子どもの貧困』 岩波新書
 +アマルティア=セン 訳・大石りら 『貧困の克服』 集英社新書

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目次

概要

 2006年、経済協力開発機構(OECD)が日本の相対的貧困率がOECD諸国の中でアメリカに次いで第二位であると発表した。この事実は大きな衝撃を持って受け止められ、マスメディアにおいても多く報じられた。また、OECDは日本の子どもの貧困率について、2000年に14%になったことを指摘した。この14%という数字は確かに高く感じられる。しかし、資本主義の社会に生きる我々にとってはなじみの深い「格差」とこの「貧困」は、どう違うのだろうか。  貧困研究で著名な岩田正美日本女子大学教授は、貧困と格差の違いを決定づける基準として、貧困は「許容できないもの」と定義づけている。貧困撲滅を求めることは、完全平等主義を追求することではない。「貧困」は、格差が存在する中でも、社会の中のどのような非意図も、それ以下であるべきでない生活水準、そのことを社会として許すべきではない、という基準である。この「許すべきではない」という基準は、価値判断である。その基準は人によってさまざまだろう。しかし、だからこそ、「貧困」の定義は、社会のあるべき姿をどう思うか、という価値判断そのものなのだ。

定義

 貧困には二つの種類が存在する。相対的貧困と絶対的貧困だ。相対的貧困とは、OECDや欧州連合などの国際機関で先進諸国の貧困を議論する時の基準や、日本の生活保護法によってきめられている生活保護基準に用いられている概念で、人々がある社会の中で生活するためには、その社会の「通常」レベルから一定距離以内の生活レベルが必要であるという考え方に基づく。つまり、人として社会に認められる最低限の生活水準は、その社会における通常からそれほど離れていないことが必要であり、それ以下の生活を貧困と定義しているのである。  これに対する概念が、絶対的貧困である。絶対的貧困とは、人々が生活するために必要なものは、食料や医療など、その社会全体の生活レベルに関係なく決められるものであり、それが欠けている状態を示す。発展途上国で飢える子どもや、終戦直後の日本など、一般の人々がイメージしやすい貧困は、絶対貧困の概念ということができる。

子どもへの影響

 子どもの貧困において問題視されるのは確率である。貧困家庭に育つ子供と、そうでない家庭に育つ子供が、「温かい」「幸せな」家庭に恵まれたり、経済的に成功したりする確率に違いがあるのか、また、どれほど違うのか、ということである。こうして観点に立った時、多くのデータは貧しい子供が、そうでない子どもに比べ「不利」な立場にあるという事実を示している。そのデータの一例として学力、健康、虐待などが挙げられる。

参考

阿部彩 『子どもの貧困』 岩波新書 アマルティア=セン 訳・大石りら 『貧困の克服』 集英社新書


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