ヴェニスの商人2

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2008年7月9日 (水) 22:48の版

ヴェニスの商人のあらすじは以下の通りである。 「バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために先立つものが欲しい。そこで、友人のアントーニオから金を借りようとするが、アントーニオの財産は航海中の商船にあり、金を貸すことができない。アントーニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。アントーニオは、金を借りるために、指定された日付までにシャイロックに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件に合意する。アントーニオは簡単に金を返す事が出来るつもりだったが、彼の商船は難破し金を返す事が出来なくなる。シャイロックは、日頃から快く思っていなかったアントーニオに復讐できる機会を得た事を喜ぶ。 その間に、バサーニオは、ポーシャと結婚するためにベルモントに向かう。ポーシャの父親は金、銀、鉛の3個の小箱から正しい箱を選んだ者と結婚するよう遺言を残していた。バサーニオはポーシャの巧妙なヒントによって正しい箱を選択する。バサーニオはポーシャから貰った結婚指輪を絶対はずさないと誓う。しかし、幸せなバサーニオの元にアントーニオがシャイロックに借金返済が出来なくなったという報せが届く。バサーニオはポーシャから金を受け取りベニスへと戻る。一方、ポーシャも侍女のネリッサを連れて密かにベルモンテを離れる。 シャイロックはバサーニオから厳として金を受け取らず、契約通りアントーニオの肉を要求する。若い法学者に扮したポーシャがこの件を担当する事になる。ポーシャはシャイロックに慈悲の心を見せるように促す。しかし、シャイロックは譲らないため、ポーシャは肉を切り取っても良いという判決を下す。シャイロックは喜んで肉を切り取ろうとするがポーシャは続ける。「肉は切り取っても良いが、契約書にない血や髪の毛など他の物は何一つ切り取ってはいけない」。仕方なく肉を切り取る事を諦めたシャイロックは、それならばと金を要求するが一度金を受け取る事を拒否していた事から認められず、しかも、アントーニオの命を奪おうとした罪により財産の半分は自分の娘ジェシカに与えることとなり、また、キリスト教に改宗させられる事になる。 バサーニオはポーシャの変装に気付かずにお礼をしたいと申し出る。バサーニオを困らせようと結婚指輪を要求するポーシャにバサーニオは初めは拒んだが結局指輪を渡してしまう。ベルモンテに戻ったバサーニオは指輪を失った事をポーシャに責められる。謝罪し許しを請うバサーニオにポーシャはあの指輪を見せる。驚くバサーニオにポーシャは全てを告白する。」 (1)

ヴェニスの商人にはユダヤ人とキリスト教徒の対立が描かれている。この物語をユダヤ人を差別していてよくない作品とする人もいれば、ユダヤ人差別を訴える作品とする人もいる。 次の記述は、ユダヤ人シャイロックが、ユダヤ人に差別をするキリスト教徒を批判する台詞である。

アントニオの友人に「肉なんか取って、何の役に立つ?」と言わてシャイロックは次のように答える。 「魚釣りの餌としては役立つさ。腹の足しにはならなくても腹いせにはなる。あいつは俺に恥をかかせ、50万ダカット損をさせ、俺の損を笑い、俺の得をあざ笑い、俺の民族をさげすみ、俺の商売を台無しにし、俺の友だちに水を差し、俺の敵に火をたきつけた。 やつがそんなことをする理由は何かって? 俺がユダヤ人だからだ。ユダヤ人には目がないと言うのか? ユダヤ人には手がないのか、内臓が、四肢が、感覚が、感情が、情熱がないとでも言うのか? キリスト教徒と同じ物を食べ、同じ武器で傷つき、同じ病気にかかり、同じ療法で治り、同じ冬の寒さを感じ、同じ夏の暑さを感じることはないというのか? 針を刺しても血が出ない、くすぐっても笑わない、毒を飲ませても死なないと言うのか? ゆえに俺たちはひどい目に遭っても復讐してはいけないとでも言うわけか? 俺たちが他の点であんたがた(キリスト教徒)と同じなら、この点でも同じはず。 もしユダヤ人がキリスト教徒をひどい目に遭わせたら、それに対するキリスト教徒の謙虚な行為とは何だ? 復讐だろうが。もしキリスト教徒がユダヤ人をひどい目に遭わせたら、それに対する寛容な対処法とは、キリスト教徒のお手本に従えば何だ? そりゃ 復讐に決まっとる。あんたらが教えてくれた悪行を俺は遂行するのみ。教えられた以上に徹底的にやってやろうじゃないか。」 (2)

これは、自分には甘く、異教徒には厳しいキリスト教の偽善を痛烈に批判した名台詞であるという見方ができる。しかし、欧米人たちはキリスト教徒の非道は棚に上げて、この台詞を vindictive Jew(復讐好きなユダヤ人)のステレオタイプを明確に提示した名言と見なしていると、ジャーナリストの西森は述べている。

アントニオの友人バッサーニオがシャイロックの残忍さを批判し、 Do all men kill the things they do not love? 「好きではないものは殺してしまう、人間とはそんな(残忍な)ものではないはずだ」と言った後、アントニオはこう言っている。 「頼むからやめてくれ、ユダヤ人が相手なのだから。海岸に立って大きな津波に向かって通常の高さに鎮まれと命じるほうがまだましだ。狼に対して、なぜ子羊を殺して母羊を泣かせるのかと問うほうがまだましだ。 あのユダヤ人の固い、どうしようもないほど固い心を和らげようとするよりは、至難の業に挑戦するほうがましだ。だからもう問答はやめて、手を引いてくれ。そして早く決着をつけて、俺に判決を、あのユダヤ人に望みのものをあたえてくれ。」 この台詞から、ユダヤ人に対する猜疑心と偏見の根深さが読み取れる。また、裁判のシーンからキリスト教の優位を表す部分がある。

Tarry a little; there is something else. This bond does give thee here no drop of blood; The words expressly are 'a pound of flesh': Take then your bond, take thou your pound of flesh; But, in the cutting it, if you do shed one drop of Christian blood, your lands and goods are, by the laws of Venice, confiscate unto the state of Venice. 訳:(アントニオの肉を切り取ろうとするシャイロックを制して)待て、あわてるな。まだ言うべきことがある。この証文は血を一滴もおまえに与えていない。「肉1ポンド」とのみ明記されている。ゆえに証文通りに肉を1ポンド取るがいい。だが、切り取るときにキリスト教徒の血を一滴でも流せば、おまえの土地・財産は全てヴェニスの法律に従い国庫に没収されるのだ。(2)

ここでは、「アントニオの血」でも「相手の血」でもなく、わざわざ「キリスト教徒の血を一滴でも流せば」と言っている。ヴェニスの商人では個人名でなくChristian(キリスト教徒)とJew(ユダヤ人に対する蔑称)を使う場面が多々ある。明らかに、キリスト教とユダヤ人の対立が表現されている。この時代、キリスト教徒はユダヤ教徒を蔑視しており、作品中のユダヤ人(シャイロック)の扱いに関する意見は以下の通り様々である。

作品にやや批判的な意見 「詐欺としか思えないポーシャの知恵を褒めそやし、始終キリスト教の優越性をたたえているこの戯曲って、なんか後味が悪いと思いませんか?もし、実際にこの作品を読んで「喜劇」だと思って笑った方がいらしたら、この作品に出てくるJewをJapに、JewishをJapaneseに置き換えて読み直してみてください。」(3)

ユダヤ人(シャイロック)に同情的な意見 「娘は駆け落ちし、財産は半分没収され、さらに最後キリスト教に改宗させられてしまうシャイロックは少し気の毒。同情的に彼を弱い立場の人間と解釈すると、迫害されるユダヤ人という姿が浮かび上がり作品の印象はかなり変わります。」(4)

映画「ヴェニスの商人」(2005年10月29日公開)(5) を見た人の意見 「シャイロックを単なる冷酷な高利貸しとして描かず、キリスト教徒たちに差別され、金利をとることを批判された上、もう一つの悲劇に見舞われたためにキリスト教徒の貿易商アントーニオに恨みを抱くという流れになっており、シャイロックの非道さにも憐れみを感じるような筋書きになっていました。」(6) 「狡猾で憎むべきシャイロックというより、孤独で哀れむべき人物像として解釈されているのなら、表現として成功しているのではないだろうか。」(7)

映画の「ヴェニスの商人」はユダヤ人が悪人として取り上げられているというよりも、かわいそうなユダヤ人として描かれていることがわかる。その時代の考え方に合うようにアレンジされたり、制作者の意図が原作に反映されたりすることが考えられる。 また、ユダヤ人が蔑視されていたということを知った上でヴェニスの商人を見たり読んだりするのと、全く知らないまま鑑賞するのとでは受け取り方が違うことも指摘できる。そして、ユダヤ人蔑視の時代背景を知らないまま鑑賞した場合、ただの喜劇として鑑賞する可能性が高いと考えられる。同時に、無意識のうちに「ユダヤ人は何か嫌なやつのようだ」という感覚を刷り込む可能性も否定できない。もし、ユダヤ人蔑視の時代背景を知っていたならば、上記に挙げた意見のように「ユダヤ人はかわいそう」「迫害されていたからこのようなストーリーなのだ」と受け取り、ユダヤ人はキリスト教徒より劣っているという考えを持つことはないと思われる。 しかし、これはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもない日本人だから言えることなのかもしれない。欧米人たちがシャイロックのキリスト教批判をするシーンを見て、「復讐好きなユダヤ人のステレオタイプを明確に提示した名言」と解釈するという意見があったように、欧米人には客観的に見られない部分があると考えられる。 個人的には、劇を通してユダヤ人への偏見等を知ることができたという経験がある。シャイロックが嫌なやつという雰囲気もあったが、そういう性格の役としたからか、それともシャイロックがユダヤ人だからか。また、シェークスピアも当時の他の欧米人と同じようにユダヤ人蔑視をしていたのか、それともシャイロックにユダヤ人もキリスト教徒と同じ人間だと言わせ、あえて嫌な役柄にすることで、ユダヤ人蔑視に疑問を投げかけたのか。劇のストーリー自体の面白さもあり、その時代の価値観も考えさせられる面白さがあったと思う。

参考文献・引用

(1) http://ja.wikipedia.org/wiki「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」

(2) http://www.eigotown.com/eigocollege/marie_english/backnumber/marie_english71.shtml「アメリカンカルチャーを知る英語講座」

(3) http://www.eigotown.com/index.shtml「英会話と英語情報ポータルサイト」

(4)http://www.sol.dti.ne.jp/~takeshu/Venice.htm「ヴェニスの商人」

(5)http://movie.goo.ne.jp/index.html「映画情報 goo映画」

(6)http://blog.goo.ne.jp/windquest72「ヴェニスの商人 パフィンの生態」

(7)http://plaza.rakuten.co.jp/iyahaya98/diary/200605130000/「お茶の間オレンジシート」


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