サラダボウル2
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== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
・「アメリカの民族 ルツボからサラダボウルへ」 綾部恒雄 (1992年) 弘文堂 | ・「アメリカの民族 ルツボからサラダボウルへ」 綾部恒雄 (1992年) 弘文堂 | ||
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・「エスニック・アメリカ 民族のサラダ・ボウル、文化多元主義の国から」 越智道雄 (1995) 明石書店 | ・「エスニック・アメリカ 民族のサラダ・ボウル、文化多元主義の国から」 越智道雄 (1995) 明石書店 | ||
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目次 |
サラダボウルとは
サラダは個々の素材を「溶解」させず、原型のまま残している点が、移民の母国文化・言語と民族性の保存を表し、サラダを盛る容器のボウルが、多様な母国文化・言語と民族性を受け入れるアメリカ合衆国に例えられた。アメリカ合衆国は、原住民であったインディアンを除くと、世界各地からの移民と、その子孫たちによって創られた国である。政治・経済・軍事力において現代世界最強のアメリカは、原住民、移民そして奴隷の子孫からつくられた史上初めての偉大な混血国家である。これが「文化多元主義」である。「文化」とは移民の母国文化や言語を指し、「多元」とは複数の文化・言語がそれぞれ統一体として存在を認められることを意味する。同化政策の「るつぼ」に対して、「サラダボウル」の比喩であらわされた。
「るつぼ」から「サラダボウル」へ
「文化多元主義」が「サラダボウル」でたとえられていたのに対し、「文化政策」は「坩堝」でたとえられていた。種々のものが混ざっている状態を表す「るつぼ」は、坩堝が金属を溶融混合することに例えたもので、多民族が混在したアメリカ社会を「人種の坩堝」と形容したことから広く用いられた。しかし、坩堝では「溶け合う」といった同化の意味が含まれてしまうため、種々のものが混ざっていても個々に味があるということで、近年は「サラダボウル」と表現されることが多くなった。
現在のアメリカ
現在のアメリカでは、文化多元主義が優越的であるとはいえ、同化主義的考え方がなくなってはいない。同化主義的思想も、融和主義的思想も、文化多元主義と並存して存在している。アメリカ合衆国という国は、百数十種にものぼる民族集団が混住し、通婚によって融合し、相互に文化的影響を与え合いながら成立している国である。一般に移民が民族集団と呼ばれるためには三世代たつことが必要だといわれているが、このような国家とその内部に生じている民族間関係の動的なプロセスを踏まえて出てきたのが「国民国家の枠組みの中で、他の同種の集団との相互行為的状況下に、伝統文化を共有し、われわれ意識で結びついている人々」すなわち「民族集団」という概念であった。一つの国民国家内の民族集団の特色は、その民族集団が本来備えているはずの共通の言語、信仰体系、身体的特性、生活慣行、食習慣などの客観的属性を、他の民族集団との相互行為のなかで多少とも失いながら、主観的属性としての民族的アイデンティティを保持し続けているということなのである。
参考文献
・「アメリカの民族 ルツボからサラダボウルへ」 綾部恒雄 (1992年) 弘文堂
・「エスニック・アメリカ 民族のサラダ・ボウル、文化多元主義の国から」 越智道雄 (1995) 明石書店
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