第二次世界大戦8
出典: Jinkawiki
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一方日本も関東軍が起こした満州事変をきっかけに日中戦争が起きる。日本は優勢でしたが、中国が激しく抵抗したため泥沼化していく。また日本はハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとも戦争になる(太平洋戦争)。ちなみに当時の簡単な流れですが、満州事変が起こる→上海事変が起こる→リットン調査団が調査→満州国建国→日本が国際連盟脱退→盧溝橋事件で日中戦争開始→真珠湾攻撃で太平洋戦争開始という流れ。 | 一方日本も関東軍が起こした満州事変をきっかけに日中戦争が起きる。日本は優勢でしたが、中国が激しく抵抗したため泥沼化していく。また日本はハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとも戦争になる(太平洋戦争)。ちなみに当時の簡単な流れですが、満州事変が起こる→上海事変が起こる→リットン調査団が調査→満州国建国→日本が国際連盟脱退→盧溝橋事件で日中戦争開始→真珠湾攻撃で太平洋戦争開始という流れ。 | ||
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==日時== | ==日時== | ||
1939年9月~1945年9月 | 1939年9月~1945年9月 | ||
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民間人400万人 | 民間人400万人 | ||
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==戦時下の暮らし== | ==戦時下の暮らし== | ||
+ | 戦局の進展に伴って国内の物資は少しずつ欠乏し、生活の必需品は、分配の公平さを期するために配給制が実施される。なかでも、日常生活に欠くことのできない食糧は、米で大人一人一日二合三勺とその配給基準が決められた。やがて配給米の中に麦や甘薯が代替として加えられ、魚や野菜の副食物まで配給制になった。しかも、配給日に遅れることや欠配することすらあって、非農家の人たちにとっては大変であった。一方、農家では、自家用の保有米を残して米・麦など食糧のすべてを供出し、その割当量を完納するのに人手や肥料不足で苦労する家が少なくなかった。また、衣料品の購入には、切符の点数制が採用され、品目別に決められた点数が購入の際に切りとられて、点数がなくなると買えない制度であった。このほか、マッチ、砂糖、酒、タバコなどすべて配給制で、その数量は少なく、抽選や順番制による分配方法がとられ、隣組や町内会の仕事も大変なものであった。軍部が本土決戦を叫ぶ戦争の終わり頃になると、国民は戦局の真相を知らされないまま、人びとの生活は耐乏の極に達していた。 | ||
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==終戦== | ==終戦== | ||
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==影響== | ==影響== | ||
戦争中連合国は首脳会談を重ねて戦後秩序を構想した。大西洋憲章で示された国際平和機関は,連合国の主要国が安全保障理事会の常任理事国となる国際連合に結実した。しかし戦後連合国は資本主義陣営と社会主義陣営に分かれ,対立が始まった。ヤルタ会談で東西両陣営の分割占領下におかれたドイツは西側の西ドイツと東側の東ドイツに分断された。カイロ会談で独立が約束された朝鮮半島は,戦争末期に米ソに分割占領されて北朝鮮と韓国に分断され,北朝鮮の金日成の南進によって朝鮮戦争が勃発した。ポツダム宣言を受諾し西側の単独占領で分割を免れた日本は,非軍事化政策で日本国憲法を制定したが,朝鮮戦争を機に日米安全保障条約を結び西側に属することになった。戦争中解放区を拡大した共産党は戦後の内戦に勝利して中華人民共和国を建国し,国民党は台湾に移った。一方,大戦で荒廃した西欧では,独仏の対立を排除して平和を維持するためにも,ECSCを経てEECによる市場統合が進められたが,アウシュヴィッツの虐殺など大戦中のドイツのユダヤ人迫害を受けて国際連合がパレスチナ分割を決議し,中東にイスラエルが建国されたことは,中東戦争によるパレスチナ難民の悲劇を新たに生み出した。 | 戦争中連合国は首脳会談を重ねて戦後秩序を構想した。大西洋憲章で示された国際平和機関は,連合国の主要国が安全保障理事会の常任理事国となる国際連合に結実した。しかし戦後連合国は資本主義陣営と社会主義陣営に分かれ,対立が始まった。ヤルタ会談で東西両陣営の分割占領下におかれたドイツは西側の西ドイツと東側の東ドイツに分断された。カイロ会談で独立が約束された朝鮮半島は,戦争末期に米ソに分割占領されて北朝鮮と韓国に分断され,北朝鮮の金日成の南進によって朝鮮戦争が勃発した。ポツダム宣言を受諾し西側の単独占領で分割を免れた日本は,非軍事化政策で日本国憲法を制定したが,朝鮮戦争を機に日米安全保障条約を結び西側に属することになった。戦争中解放区を拡大した共産党は戦後の内戦に勝利して中華人民共和国を建国し,国民党は台湾に移った。一方,大戦で荒廃した西欧では,独仏の対立を排除して平和を維持するためにも,ECSCを経てEECによる市場統合が進められたが,アウシュヴィッツの虐殺など大戦中のドイツのユダヤ人迫害を受けて国際連合がパレスチナ分割を決議し,中東にイスラエルが建国されたことは,中東戦争によるパレスチナ難民の悲劇を新たに生み出した。 | ||
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==参考文献== | ==参考文献== | ||
「第二次世界大戦~現代世界への転換点」著者:木畑洋一 | 「第二次世界大戦~現代世界への転換点」著者:木畑洋一 | ||
「世界史B」著者:木村靖二 | 「世界史B」著者:木村靖二 |
2016年7月29日 (金) 22:36の版
目次 |
第二次世界大戦の原因・背景
第二次世界大戦とは1939年に起こった60カ国近くの国が参加した歴史上最大の戦争ともいわれる戦争である。
原因や背景として、まず1929年の世界恐慌がある。アメリカはニューディール政策、当時植民地を持っていたイギリス、フランスなど列強はブロック経済(植民地と支配している国とで貿易をし、他国と貿易するのを防ぐこと)で大不況を乗り切ろうとしたが、それに対して日本やドイツなどの列強は世界恐慌の影響を受けた上、植民地を持っていなかったのでそれらの政策が出来ることができなかった。そこで植民地を侵略し、ブロックを壊そうとするファシズムの動きが活発となる。
本格的に始動したのはドイツ軍。ドイツはまず1939年にポーランドへ侵攻した。ちなみに、この時ソ連(主に現ロシア)などもポーランドに侵攻している。これにより第二次世界大戦が始まる。結果はドイツが勝ち、それによりイギリス、フランスなども参加する。その後は次々と各国が宣戦布告し、戦いがどんどんエスカレート。
一方日本も関東軍が起こした満州事変をきっかけに日中戦争が起きる。日本は優勢でしたが、中国が激しく抵抗したため泥沼化していく。また日本はハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとも戦争になる(太平洋戦争)。ちなみに当時の簡単な流れですが、満州事変が起こる→上海事変が起こる→リットン調査団が調査→満州国建国→日本が国際連盟脱退→盧溝橋事件で日中戦争開始→真珠湾攻撃で太平洋戦争開始という流れ。
日時
1939年9月~1945年9月
参戦国
連合国 ・大英帝国 ・南アフリカ連邦 ・イギリス領インド帝国 ・オーストラリア ・カナダ ・ソビエト連邦 ・アメリカ合衆国 ・中華民国 ・フランス共和国 ・自由フランス ・ポーランドetc
枢軸国 ・ドイツ国 ・大日本帝国 ・イタリア王国 ・イタリア共和国 ・ルーマニア王国 ・ハンガリー王国 ・フィンランド ・ブルガリア王国 ・タイ ・ビルマ国etc
損害
連合国死者 軍人1,700万人 民間人3,300万人 (諸説あり)
枢軸国死者 軍人800万人 民間人400万人 (諸説あり)
戦時下の暮らし
戦局の進展に伴って国内の物資は少しずつ欠乏し、生活の必需品は、分配の公平さを期するために配給制が実施される。なかでも、日常生活に欠くことのできない食糧は、米で大人一人一日二合三勺とその配給基準が決められた。やがて配給米の中に麦や甘薯が代替として加えられ、魚や野菜の副食物まで配給制になった。しかも、配給日に遅れることや欠配することすらあって、非農家の人たちにとっては大変であった。一方、農家では、自家用の保有米を残して米・麦など食糧のすべてを供出し、その割当量を完納するのに人手や肥料不足で苦労する家が少なくなかった。また、衣料品の購入には、切符の点数制が採用され、品目別に決められた点数が購入の際に切りとられて、点数がなくなると買えない制度であった。このほか、マッチ、砂糖、酒、タバコなどすべて配給制で、その数量は少なく、抽選や順番制による分配方法がとられ、隣組や町内会の仕事も大変なものであった。軍部が本土決戦を叫ぶ戦争の終わり頃になると、国民は戦局の真相を知らされないまま、人びとの生活は耐乏の極に達していた。
終戦
影響
戦争中連合国は首脳会談を重ねて戦後秩序を構想した。大西洋憲章で示された国際平和機関は,連合国の主要国が安全保障理事会の常任理事国となる国際連合に結実した。しかし戦後連合国は資本主義陣営と社会主義陣営に分かれ,対立が始まった。ヤルタ会談で東西両陣営の分割占領下におかれたドイツは西側の西ドイツと東側の東ドイツに分断された。カイロ会談で独立が約束された朝鮮半島は,戦争末期に米ソに分割占領されて北朝鮮と韓国に分断され,北朝鮮の金日成の南進によって朝鮮戦争が勃発した。ポツダム宣言を受諾し西側の単独占領で分割を免れた日本は,非軍事化政策で日本国憲法を制定したが,朝鮮戦争を機に日米安全保障条約を結び西側に属することになった。戦争中解放区を拡大した共産党は戦後の内戦に勝利して中華人民共和国を建国し,国民党は台湾に移った。一方,大戦で荒廃した西欧では,独仏の対立を排除して平和を維持するためにも,ECSCを経てEECによる市場統合が進められたが,アウシュヴィッツの虐殺など大戦中のドイツのユダヤ人迫害を受けて国際連合がパレスチナ分割を決議し,中東にイスラエルが建国されたことは,中東戦争によるパレスチナ難民の悲劇を新たに生み出した。
参考文献
「第二次世界大戦~現代世界への転換点」著者:木畑洋一 「世界史B」著者:木村靖二