マイフェアレディ
出典: Jinkawiki
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2016年7月30日 (土) 10:08の版 Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録) (音声学的背景) 次の差分へ → |
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'''ピグマリオン効果''' | '''ピグマリオン効果''' | ||
先ほど出た「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかにあるのです。私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです。」という有名なセリフは、教育心理学用語でピグマリオン効果と呼ばれ、「教師の期待によって学習者の成績が向上する現象」を指す言葉となった。 | 先ほど出た「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかにあるのです。私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです。」という有名なセリフは、教育心理学用語でピグマリオン効果と呼ばれ、「教師の期待によって学習者の成績が向上する現象」を指す言葉となった。 | ||
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+ | 映画では、コックニー(Cockney)という地域英語が取り入られている。コックニーとは、Cockney(Cock's egg)に由来し、「めめしい愚かな人」という意味がある。主にイギリス、ロンドン市内で使われていた。イギリス人は、社会的階層や教育の程度によって英語の発音がすぐわかるため、コックニーの話し手は「ロンドン生まれで教育のない無遠慮な人々」として捉えられていた。産業革命前では、人々の移動がなく、「地域訛り」すなわち「地域英語」の種類が多かった。しかし、産業革命が始まると、田園地帯にいた農業労働者が工業都市へと移り住みこむようになると、地域英語が標準英語へと向かう働きが出た。また、英語の辞書も出版され、書き言葉の標準化も進展した。 | ||
+ | また、この映画の冒頭では、音声学者のビギンズ教授が音声記声を駆使して、花売り娘イライザの発する労働者階級英語をスラスラと記録している。(このような分野を自発音声という)音声学者とは、このような能力を備えた人間が当時たくさんいたと思われがちだが、実際はこの研究をしている学者は本当に少なかった。その原因に、自発音声がデータとして組織的統制を欠いていること、同じ音声といいながら、自然発声と朗読音声とでは、伝達する情報の質が明らかに相違していることなどがあげられる。 | ||
+ | 映画の中では、地域英語と標準英語の話し手での階級差が強調されているが、「マイ・フェア・レディ」の原案者バーナード・ショー(1980)は、『階級は違っても人間としては変わりがない。階級だけで人間の価値は変わらないし、上流階級の人間が下層階級の人間より幸せとは限らない』と主張している。 | ||
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'''参考文献''' | '''参考文献''' | ||
日本バーナード・ショー協会編 『バーナード・ショーへのいざない Welcome to the Shavian World』 生誕150周年記念出版 文化書房博文社 | 日本バーナード・ショー協会編 『バーナード・ショーへのいざない Welcome to the Shavian World』 生誕150周年記念出版 文化書房博文社 | ||
+ | 田中美智子 『音声学資料としての映画ー「マイ・フェア・レディ」(1964)に見るコックニー方言ー』 国際研究論 19巻 39~53 |
2016年7月30日 (土) 10:08の版
My Fair ladyとは マイフェアレディ(My fair lady)は元々はアイルランド出身の劇作家バーナード・ショーが著した戯曲「ピグマリオン」が原作である。 1913年に初演されて人気を博し、1938年にウェンディ・ヒラーが主演し最初の映画化がなされた時には、ショー自身がアカデミー賞(脚色賞)を受賞した。
あらすじ 言語学者ヒギンズ教授は友人ピカリング大佐と賭けをし、訛りのひどい花売り娘イライザに正しい発音と礼儀作法を教え、半年後には社交界に出しても恥ずかしくない一人前のレディに変身させると宣言する。教授の容赦ないやり方にイライザは恨みを募らせるが、ある夜遅くまでレッスンが続いて疲れきった中、突然苦手だった「スペインの雨は主に平野に降る」の発音に成功。三人で手を取り合って大喜びした後、ベッドに就いたイライザは、教授に対して今までにない感情が芽生え始めたことに気付く。社交界デビューの予行演習で出掛けたアスコット競馬場では、イライザはとんちんかんな受け答えで周囲を唖然とさせ、レースに興奮して思わずボロを出してしまうが、後日、いよいよ本番となった大使館の舞踏会では完璧なレディへと変身していた。しかし、イライザの中身が伴っていないために、ヒギンズは大恥をかく。これに懲りず、イライザを再度特訓して再デビューさせると、今度はトランシルバニア皇太子からダンスを指名されるなど大成功。これにて、賭けはヒギンズの大勝利となるが、イライザは自分がただの賭けの道具であったことに気づいてしまう。ヒギンズを愛し始めていたイライザは大きなショックを受けて泣き崩れてしまう。 「あなたのことは好きだけれど、私を人間として扱ってくれない以上、もう一緒にはいられません。」 イライザを失ったヒギンズは、脱力感と深い後悔におそわれ、研究室で彼女の声を録音してあったテープを聴きながら、物思いにふけるのであった。失ってみて初めてわかる彼女の大切さ…彼もまたイライザを愛し始めていたのだ。ここで、映画は劇的なエンディングを迎えるのである。
しかし原作のピグマリオンでは、イライザは自分を人間として扱わなかったヒギンズを許さなかった。「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかにあるのです。私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです。」といった有名なセリフがある。結局、彼女は没落して無一文になった青年フレディと結婚し、二人で下町で花屋を始める。お金持ちで社会的地位もあるヒギンズではなく、等身大で愛し合える貧しい青年との苦労を選択したというのが原作のエンディングである。
ピグマリオン効果 先ほど出た「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかにあるのです。私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです。」という有名なセリフは、教育心理学用語でピグマリオン効果と呼ばれ、「教師の期待によって学習者の成績が向上する現象」を指す言葉となった。
音声学的背景 映画では、コックニー(Cockney)という地域英語が取り入られている。コックニーとは、Cockney(Cock's egg)に由来し、「めめしい愚かな人」という意味がある。主にイギリス、ロンドン市内で使われていた。イギリス人は、社会的階層や教育の程度によって英語の発音がすぐわかるため、コックニーの話し手は「ロンドン生まれで教育のない無遠慮な人々」として捉えられていた。産業革命前では、人々の移動がなく、「地域訛り」すなわち「地域英語」の種類が多かった。しかし、産業革命が始まると、田園地帯にいた農業労働者が工業都市へと移り住みこむようになると、地域英語が標準英語へと向かう働きが出た。また、英語の辞書も出版され、書き言葉の標準化も進展した。 また、この映画の冒頭では、音声学者のビギンズ教授が音声記声を駆使して、花売り娘イライザの発する労働者階級英語をスラスラと記録している。(このような分野を自発音声という)音声学者とは、このような能力を備えた人間が当時たくさんいたと思われがちだが、実際はこの研究をしている学者は本当に少なかった。その原因に、自発音声がデータとして組織的統制を欠いていること、同じ音声といいながら、自然発声と朗読音声とでは、伝達する情報の質が明らかに相違していることなどがあげられる。 映画の中では、地域英語と標準英語の話し手での階級差が強調されているが、「マイ・フェア・レディ」の原案者バーナード・ショー(1980)は、『階級は違っても人間としては変わりがない。階級だけで人間の価値は変わらないし、上流階級の人間が下層階級の人間より幸せとは限らない』と主張している。
参考文献 日本バーナード・ショー協会編 『バーナード・ショーへのいざない Welcome to the Shavian World』 生誕150周年記念出版 文化書房博文社 田中美智子 『音声学資料としての映画ー「マイ・フェア・レディ」(1964)に見るコックニー方言ー』 国際研究論 19巻 39~53