EU5
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:*最終段階 欧州合衆国の誕生 | :*最終段階 欧州合衆国の誕生 | ||
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- | :第二次世界大戦により欧州の荒廃はさらに進んだ。そうした荒廃の中から、欧州統合の声はさらに強まった。きっかけの一つは、戦時中に英首相となったチャーチルが戦後の1946年9月にスイスのチューリッヒ大学で行った演説だった。英国を勝利に導いた名宰相も大戦終了直前の総選挙で敗北し、野に下っていた。大戦中に欧州理事会設立を提唱したチャーチルは「もし欧州の諸民族が団結できるならば、欧州人は共通の幸福感を抱き、無限の名誉を感じるだろう。我々は米合衆国に似たものを建設し、育てなければならない。この緊急の使命を達成するために、まずドイツとフランスが手を結ぶ必要がある。」と熱弁した。この「欧州合衆国」を掲げた演説は、戦火で打ちひしがれていた欧州各地で反響を呼んだ。1947年2月にはチャーチル自身を会長とする「欧州連合運動」が発足した。 | + | :第二次世界大戦により欧州の荒廃はさらに進んだ。そうした荒廃の中から、欧州統合の声はさらに強まった。きっかけの一つは、戦時中に英首相となったチャーチルが戦後の1946年9月にスイスのチューリッヒ大学で行った演説だった。英国を勝利に導いた名宰相も大戦終了直前の総選挙で敗北し、野に下っていた。大戦中に欧州理事会設立を提唱したチャーチルは「もし欧州の諸民族が団結できるならば、欧州人は共通の幸福感を抱き、無限の名誉を感じるだろう。我々は米合衆国に似たものを建設し、育てなければならない。この緊急の使命を達成するために、まずドイツとフランスが手を結ぶ必要がある。」と熱弁した。この「欧州合衆国」を掲げた演説は、戦火で打ちひしがれていた欧州各地で反響を呼んだ。1947年2月にはチャーチル自身を会長とする「欧州連合運動」が発足した。大戦中、米国に亡命していたカレルギーも汎欧州運動を復活させた。他にもいくつかの欧州統合団体が生まれ、統合への礎となっていった。 |
2016年7月30日 (土) 15:17の版
目次 |
概要
欧州連合(European Union)の略称。独特な経済的、政治的協力関係を持つ民主主義国家の集まり。加盟国数は当初の6ヵ国から28カ国となり、人口5億人の地域となっている。関税同盟、経済分野での共通政策、市場統合、共通通貨ユーロ導入等の面での統合が実現しており、EU加盟国はみな主権国家であるが、その主権の一部を他の機構に譲るという、世界で他に類を見ない仕組みに基づく共同体を作っている。
- EUの目的
- 1992年2月に欧州連合(EU)の創立のため定められたマーストリヒト条約内で、EUの目的について以下のように規定している。
- 域内国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的・社会的発展を促進すること
- 共通外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること
- 欧州市民権の導入を通じ、加盟国国民の権利・利益を守ること
- 司法・内務協力を発展させること
- 共同体の蓄積された成果の維持と、これに基づく政策や協力形態を見直すこと
歴史
ヨーロッパ統一思想の萌芽
ヨーロッパの大部分の領域はかつて、ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国、神聖ローマ帝国、オスマン帝国、フランス第一帝政、ナチス・ドイツといった武力を背景とした帝国のもとに統一されていたが、戦後の壊滅的な状態下で欧州統合の思想が西ヨーロッパで広まっていった。欧州統合の構想を提起した思想家には、ウィリアム・ペン、シャルル=イレネー・カステル・ド・サン=ピエール、ヴィクトル・ユーゴー、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、ジュゼッペ・マッツィーニ等の多くのヨーロッパ人が挙げられる。中でもクーデンホーフ=カレルギーは1923年に「汎・ヨーロッパ」と題する書物において平和的世界統一の第一段階としてのヨーロッパ統一を呼びかけ、第一次大戦の傷跡の残るヨーロッパに一つの希望を投げかけた。
カレルギーの欧州統合論
- 第一段階 各国で構成する欧州会議の開催。軍縮、関税、通貨などで共通の利益を検討する委員会設置
- 第二段階 欧州仲裁裁判所の設置。加盟国間の相互安全保障条約の締結
- 第三段階 欧州全域で関税同盟と、通貨同盟締結。単一経済圏の創設
- 最終段階 欧州合衆国の誕生
チャーチルの「合衆国」構想
- 第二次世界大戦により欧州の荒廃はさらに進んだ。そうした荒廃の中から、欧州統合の声はさらに強まった。きっかけの一つは、戦時中に英首相となったチャーチルが戦後の1946年9月にスイスのチューリッヒ大学で行った演説だった。英国を勝利に導いた名宰相も大戦終了直前の総選挙で敗北し、野に下っていた。大戦中に欧州理事会設立を提唱したチャーチルは「もし欧州の諸民族が団結できるならば、欧州人は共通の幸福感を抱き、無限の名誉を感じるだろう。我々は米合衆国に似たものを建設し、育てなければならない。この緊急の使命を達成するために、まずドイツとフランスが手を結ぶ必要がある。」と熱弁した。この「欧州合衆国」を掲げた演説は、戦火で打ちひしがれていた欧州各地で反響を呼んだ。1947年2月にはチャーチル自身を会長とする「欧州連合運動」が発足した。大戦中、米国に亡命していたカレルギーも汎欧州運動を復活させた。他にもいくつかの欧州統合団体が生まれ、統合への礎となっていった。